しかし、その扉は開いた。開いてはならない扉が開いた。その扉の向こうには、大滝ナースがニコリともせずにアッキーママの目を見て立っていた。

「静かに私に付いていらっしゃい。黙っててね。誰とも口を利いてはダメよ。これは規則違反行為ですからね。オカリナ演奏会がこれから開かれます。一番後ろの席で私と一緒に聴きましょう」

アッキーママはキャラ弁の話をした人とは別人のような大滝ナースに只々驚いていた。何も言えずに、はいと返事をするのが精一杯である。規則違反行為の言葉がどんなことなのか意味も分からずにいた。そして、大滝ナースはまた続けて言うのだった。

「アッキーパパに連絡をしました。息子さんと、そのお友達ひとりなら一緒に聞くことが出来ると伝えてあります。三人でオカリナ演奏会に駆け付けると返事がありました」

大滝ナースはそれだけを言って一番後ろの席に二人して座った。これから始まるドラマは大滝ナースの人生の大きな決断であった。大滝ナースはこれをアッキーママとの最後の思い出にしようとしていた。

さぁ、もうすぐ田畑さんが登場するはずである。前歯一本もアカペラで歌う為に登場するはずである。レストラン・菜には患者や面会人たちがざわざわと、そしてわいわいと集まってきた。

まず、前歯一本は近くのテーブルや椅子を中央に移動し始めた。舞台ステージのように設定していった。三十席ほどの椅子を並べると大きな声で叫ぶかのようだが、明るく爽やかさを意識して声を出した。

「みんな、おいでよ」

いつもの下町情緒あふれる抑揚の声で、オカリナ演奏会の雰囲気を台無しにさせてしまわないように、前歯一本は気を付けた。三十席は多いのか少ないのかまったく解らなかったが、あまり派手にすると田畑さんが緊張してしまうことを懸念したのだ。

田畑さんは昨日はよく眠れなかったらしい。睡眠薬は極度のストレスにはあまり効果が無かったようだ。田畑さんは隅の隅で椅子に腰かけていた。

前歯一本の歌に合わせて吹くだけでいいと言われたが、練習曲のその曲はまだまだ自信をもつには、あまりにも早過ぎたのだろうか?

だが前歯一本の前では堂々と演奏できたのだから大丈夫と田畑さんは自分におまじないをかけていた。何度か前歯一本と大滝ナースの前で練習をしてきた。

そして、誰にも見られないように隠れるようにして練習をしてきた。

恋して悩んで、⼤⼈と⼦どもの境界線で揺れる⽇々。双極性障害の⺟を持つ少年の⽢く切ない⻘春⼩説。