羽衣の傳説
朝鮮の最北端、満州國との境界に白頭山がある。此の山は海抜二、七七四米近世に噴出した溶岩流の山岳であるが、山麗は廣漠(広漠)たる處女林に蔽はれ、峰頭に至つてその名の如く清楚な白頭の姿を現はしてゐる。
此の峰は頂上に及んで内側一氣に陥没し、周囘十一粁に餘る巨大なる噴火口は青黒く満々たる水を湛えてまさに龍棲むかと思はれるばかりの雄壮霊異の大湖を形造る。天池といひ、また龍王潭とよばれるのがこれである。水深は最深三百十數米に及び魚類も爬虫類も棲まない。
大昔、此の山の麓に一人の篤實な樵夫がゐた。
或る日薪を求めて此の湖のほとりまで来ると、一本の松の老樹に色あでやかな高貴な女人の衣がかけられてある。これは良き拾ひ物と取つて歸らうとすると湖に聲あり「そは我が衣なり。それなくては天に歸ることもかなはぬ、返し賜へ」といふ。
振返ると黒髪長く目ざめるばかりの上臈が浴みしてゐる所であつた。
樵夫はしばらく惑つたが、仙女の切なる請ひに「ならば衣はお返し申す程に吾が妻となり賜へ」といふと、仙女も「では、一生天に歸らぬ譯にも参りませぬから四人の子女をなすまでお傍で仕へませう」という譯で樵夫とともに暮らすことゝなつた。
十年の歳月は夢のようにすぎ、二人の間には三人の子寶(子宝)が生れた。
或る日樵夫は妻が餘りに天上を纞(恋)しがるので匿して置いた例の羽衣を出して與(与)へると、仙女はこれを身につけたかと見る間に背に一人、兩脇に一人ずつ、三人の子供を抱えてあれよの間に天上に飛び去つてしまつた。
此の傳説は白頭山天池のほとりともいひ、また金剛山文殊潭の出来事であるとも傳へる。一は樵夫、一は漁師であるだけで内地の三保の松原の傳説と同巧異曲なのも面白いが、漁師は舞を一さし所望したのに對し樵夫が結婚を求めたのは内地の羽衣に比べて頗る現實的である。
たゞその結末は樵夫も妻のあとを追つて天に上ることになつてゐて反つて現實から遠いものがあるが、斯ういつた傳説の節々にも内鮮を繋ぐ血の縁しが想はれて大變興味深いものがある。