「感謝」で生を終える

Fさんは自分の周りの人々に感謝しながら、すべてのことをやり終えたように静かに旅立ちました。

どうすればこんな素晴らしい(少し語弊があるかもしれませんが)最期を迎えられるのでしょうか?

Fさんの生命は何が支えていたのでしょうか?

確かに私たちは自分で呼吸をして、自分で食事をし、自分の心臓を動かして生命を維持しています。しかしこれが本当に「生きている」ということなのでしょうか?

私は在宅医療の世界に飛び込んでから、いろいろな看取りを体験しました。その中で、一つの大きな気づきがありました。

人が「もう長く生きられない」と思ったとき、そこを起点としてその人の歩む道は二つに分かれているのです。

一つの道は、その現実に正面から向き合わず、現実に背を向けて孤立してしまう道です。

もう一つの道は、現実に正面から向き合い、一時は苦悩しますが、いつの間にかまるで生まれ変わったように、しっかりと自分の生命を生ききる道です。

苦悩の後に、人は見事に生まれ変わることができるのです。このような自分を再発見するような道筋が、確かに存在していると思えるようになりました。

そして人はそのように「生まれ変わる」ことによって、「生きている」のではなく、「生かされている」ということに、驚きの中で気づくのです。

何らかの大いなるもの……人によってそれは神であったり、大自然であったり、大宇宙であったりするかもしれませんが、その大いなるものによって自分は「生かされている」と思える境地に達するのではないかと思えるのです。

そしてその境地に達した人のみが、今まで普通に見えていたこの世界が光り輝いて見えたり、今まで何気なく過ごしてきた日常がとても大切なものに思えたりすることができるのではないか。

Fさんのように「感謝」で自分の生を終えるということは、そういうことではないかと思うのです。

凡夫である私でも平安な最期を迎えられるかもしれないという光を、多くの看取り体験が与えてくれたように感じています。

Gさん 九〇歳 ワンマン亭主ここにあり

Gさん宅を初めて訪問したのは七月の暑い日でした。古い大きな農家で、立派な門の前に車を止めて少し暗い家の中に入ったとき、Gさんは農家特有の広い居間の奥まったところに寝ていました。