二つのコンプレックスには陥らない
アドラーは、度が過ぎる劣等感や優越性を「劣等コンプレックス」と「優越コンプレックス」と呼びます。このコンプレックスを劣等感と明確に区別をしています。
アドラーは、このコンプレックスは、人生にとって有用でないものとして警鐘を鳴らしています。劣等コンプレックスは、劣等感が過度になったもので、物事がうまくいかなくなった時に現れます(強い劣等感)。
アドラーは、劣等感を口実(言い訳)にして後述するライフタスク(人生の課題)から逃避することを「自己欺瞞(人生の嘘)」と呼びます。
我々を苦しめる劣等感を、努力や成長への刺激とするか、あるいは現実から逃避するための言い訳とするかで、全く行動が変わります。
つまり、劣等感は客観的な事実ではなく、主観的な解釈だということです。劣等感をどう使うかは、本人次第です(使用の心理学)。
「自分はどうせ〜だからできない」という表現があります。
例えば「私は、学歴が低いしスタイルも悪いから、結婚ができない」と言うのは、まっとうな因果関係に見えますが、アドラーは、「見かけの因果律」と切り捨てます。
結婚できない理由(言い訳)を自分の都合の良いような因果関係を作って説明しているだけです。
優越コンプレックスとは、自分が優れた人間であるかのように見せかけることで、劣等感に対処する態度で偽りの優越感に浸ることです(過度の優越性の追求)。
権威づけなどをして、自分が特別な存在であることをアピールします。優越コンプレックスを持った人は、自分を自慢するだけでなく他者を陥れて自分を相対的に上に位置づけるような虚栄的な行動もします。
二つのコンプレックスは、後述する人生の課題から逃避するものです。
反対に言うと、人生の課題に直面して、これを克服することが、優越性を追求するということです(前ページ図1)。