人間の行動の先には、相手役がいる

人間関係論では、「人間の行動は、常に相手役が存在する人間関係の中にある」と考えます。(図1)

[図表1]人間関係論

また、アドラーは、「個人は、ただ社会的な文脈の中においてだけ、個人となる。」(『個人心理学講義』)と述べているように、人間を社会的存在(社会的動物)と捉えています。

目的論から言えば、人間は、この人間関係の問題を解決することを目的として行動します。相手と目的に応じてその人の行動が変わりますので、その人の人間関係の対処法を見れば、その人を理解できます。また、相手の人間関係行動を観察することによって、相手のことを理解することもできます。

人は、相手役の行動に対して、ある感情を抱き行動をします。それに対して、相手役もその人の行動に反応して行動を起こします。このように自分と他者は、相互に影響を与え合いながら人間関係を構築します。

人間の内部に矛盾や葛藤や対立があることを認めず、人間は、一つの全体として動いていると考える全体論から言えば、この動いている場が人間関係という場(関係の場)になります。

人間は、社会に埋め込まれた社会的動物である

自分と他者という一対一の関係に限定せずに、社会という文脈の中で、人間同士の関わり合いを考えます。自分は、他者の関係性の中で生きていますので、人間関係論を社会統合論という言い方もします。

社会統合論は、英語ではSocial Embeddednessとなります。Embeddedとは、「埋め込まれた」という意味ですから「人間は、社会に埋め込まれている」と言った方が理解しやすいのではないでしょうか。

私たちは、人間関係の中で自分とは、どんな人間であるかを学び、自分の価値観や信念(考え方)を作ります。そして、人間関係の中で行動して喜びを得たり悩んだりします。我々は、相互に影響し合う人間関係の中で生きていることから言えば当然のことです。

人間関係論と相反する考え方が、ジクムント・フロイト(以下、フロイトと記します)が提唱した精神内界論です。精神内界論は、人間の行動は、個人の精神内の機能や原因の現れと考えます。人間の捉え方として、フロイトとアドラーの考え方は対立します。