教師のほとんどが、学校の内外を問わず、ピアスそのものを許さない・許せないという見解だった。

「ピアスとかにつけ込んで言い寄ってくる」

「今まで認めていない。自己表現はやる必要がない」

「生物学的に反対。異物を体に入れるのはよくない」

「学校集団のルールが大切。地域のことも考えて」

「学校はものを考える場。学ぶのは内面・心」

「親から命をもらって感謝。自分で稼ぐまでは我慢」

「自分の子どもだったら悲しい」

などだった。

最後に、T男に自分の考えを述べるように促したが、

「もう十分話してきたので、言うことはありません」と発言するにとどまった。

この後、T男と面談をした。意見交換会の話を受けてどう思ったのかを聞いたところ、

「特に、今までと気持ちは変わっていません」とのことだった。それぞれの教師の話については、「言っていることを間違っているとは思いませんが、自分の気持ちが変わるほどのことではありません」という返答だった。

二日後の職員会議でもう一度話し合うことになっており、その決定を待つこと、そして、できる限り穴がふさがらないように透明のピアスだけは許してもらえるように努力する旨を告げた。さらに、どのような決定が下されようとも、T男が考えた3つの対応のうち、二つ目の「無視する」は絶対に許さないということも伝えた。

同時に、ピアスが許されているような学校を例に挙げて話したり、私が中学生の頃は非行の走りとして許されていなかった、例えばエレキギターなども、数年の後には全く問題なく学校で演奏できるようになったことなどの話をし、ピアスについては今の段階では時期尚早であるのではないかという感触についても付け加えた。

話の内容には納得して聞いているようだった。しかし、ここまで来たら引くに引けないといった感じが強く窺われた。特に部活顧問のH教諭とのやり取りにおける理不尽さというものに対する不満を口にし、「単にピアスの『問題』だけなのだろうか!?」という思いもよぎった。