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クリントン、ロシアそしてウラニウム・ワン

私達のアドバイザリー会議が外国の脅威を評価して、諜報共同体の手伝いをしていた頃、アメリカ財務省内に所属するCFIUSの責任者達は何とも妙なウラニウム・ワンという事案に苦労していた。

2006年のドバイポート事件以来、2016年に至るまでの期間、ウラニウム・ワンは最も公に論じられ、政治問題化したCFIUSの事案だった。

ウラニウム・ワンの取引は複雑に込み入った話で、ことの始まりは2005年にさかのぼる。ウラニウム・ワンの取引が後にCFIUSにとっていかに政治的に有害になったか理解するにはその過去の経緯を理解することが重要である。

もともと金鉱山の小型株を所有し、映画制作に携わっていた裕福なカナダ人実業家フランク・ギストラがウラン鉱山ビジネスに手を出したのが2005年だった。

ウラニウムとは希少鉱物で銀色であり、原子番号92である。原子力発電で平和的な発電事業にも、また軍事目的で船舶の動力源となったり、核兵器にも使用される。いわば地球上に存在する最も戦略的に重要な天然資源の一つといえる。

ギストラとその仲間は中央アジアのカザフスタンでウラニウムの鉱業権を得る目的でウルアジアエナジーという会社を設立した。ギストラはその援軍としてビル・クリントンの協力を取りつけた。

ギストラが言うには「私のすべての掛け金はほとんどがビル・クリントンに賭けられています。彼は世界的ブランドであり、彼には実行力があり、また他の誰もができないことでも求めることができるのです」と言うことだった。⑶2015年9月6日ギストラとビル・クリントンはカザフスタンのアルマティを訪れた。

その訪問時、クリントンは残酷なカザフの独裁者ヌルスルタン・ナザルバエフと密会した。ウルアジアとギストラは、オーストラリア、ロシアその他のウラニウム産出国のもっと大きい会社や古くからある会社との厳しい競争に打ち勝ってカザフのウラン採鉱権を取得した。

その翌年ギストラは何億ドルかをクリントン財団に寄付した。カザフのウラン鉱山を確保できた途端、ウルアジアは目の回るような一連の取引を開始した。