怒った時、悲しい時、苦しい時、許せない時、反応しちゃう前に、もしくは、
反応してても、自分のこころを観るんだよ。
「観る」っていうのはその声を聞き、姿を見、こころ全てを感じとること。
吹き荒れている嵐には巻き込まれないんだ。
もしできなかったら、嵐の後でもいい。
冷静になって、やってみてごらん。
「ああ、俺はできない自分を見たくないんだ」
「ああ、私は失うことがどうしようもなく怖いんだ」
なんであれ、気がつけば、言葉にできれば手放す方法がある。
放課後に、厄介なことをしでかした生徒の話を親身になって聴いてやる
先生みたいにさ。
そして違う方法はないのか一緒に考えてやるんだ。
嵐を引き起こしたのは、他の誰かでも何かでもない、自分自身なんだから。
外側に向かうんじゃない。
内側に目を凝らすんだ。
できる限り踏ん張って、できる限り冷静に、
自分の中の拳のように固くなったこころを見つめるんだ。
自分の一番の相談相手は、自分自身なんだよ。