彼は民族宗教の一つであるバラモン・ヒンズー教の身分制度による貧富の格差などや地域の人びとの貧困な暮らし、老い、病、死などの人生の現実に直面して嘆き、己自身の修行のために出家したといわれているので、夜逃げではなかっただろうね……(笑い)。
彼の悟りを知った大衆は教えを請うようになり、「大仏」と呼ばれるようになったんだ。ドイツのヘルマン・ヘッセの作品の一つに『シッダールタ』(二)があり、ぼくは英訳(Siddhartha)と日本語訳を読んだ。
多くの言語に翻訳されているよ、ヘッセはノーベル文学賞を受賞しているけど、エミリア、君はこの本を読んだことあるかな?
エミリア:ヘッセの詩集は読んだけど、その本はまだ読んでないわ。その概要を教えてちょうだい。
イサオ:ぼく個人の解釈が加わるかもしれないけど……この小説はヘッセなりのシッダールタ像を表現したもので、シッダールタは生まれてから影響を受けてきた宗教に懐疑的になり、前にも述べたように人生の現実を見詰めるために、友人のゴービィンダとともに巡礼者になった。
断食を重ねながら森などをさ迷うんだ。自然界の厳しさや世の人びとの苦悩の根源などを直視して巡礼している途中、人びとに尊敬されている仏陀と称されている人物に遭遇するんだ。
友人のゴービィンダはその仏陀の教えを聴いて彼に従っていきシッダールタとは別れてしまう。それでもシッダールタは己の納得する道を求道者として進むんだ。
その道中に官能的な遊女と出会うけど、ハンサムでスタイルがよくても、金もなく身なりも貧相な男性は相手にならないと言われ、商人になり金儲けをして彼女との享楽に浸るものの、己の邪心に気づくとさらに修行に励むのだね。
彼は川を渡るときに小船の船頭と知り合いになり、小屋で寝泊まりしてその仕事を手伝い人生について対話も交すんだ。そこに子どもを連れたかつての遊女が通りかかり再会する。
子どもはシッダールタとの間に生まれた一〇歳の息子で、シッダールタはその事実を受け止めたが、遊女は体調を崩していてまもなく他界する。
シッダールタは息子を懸命に育てるけど、なかなか思うようにはならず、自身の父親との関係性を想起して悩むが、息子を遊女が住んでいた町に帰すことにした。