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【ハローワーク】

ここはスナックか?

いずれにしても少しは本気で相談に乗ってくれそうだという期待を抱きつつ、「この会社に応募したいのですが」とコンピュータで検索した紙を手渡した。

「営業職ですね。営業のご経験はありますか」との問いに、「ハイ」と答えた。

年齢も六十三歳までですから大丈夫そうですね、とスナックのママは微笑んでくれた。よく見ると少しふくよかではあるが、笑顔が似合う顔だちをしている。

「それではまだ募集をしているか聞いてみますが、年齢、名前、電話番号を先方に伝えても良いですか?」

個人情報保護法を気にしてか、後々のトラブルを想定してか、一応確認するらしい。了解する旨を伝えると、希望する会社が面接を承諾し、四日後に面接となった。家に戻って早速履歴書の作成に取り掛かった。

履歴書書きなど四十年ぶりだった。ふと、当時履歴書を書いた日々を思い出した。中東で発生した第二次オイルショックの最中で、職安(今のハローワーク)に行っても求人が極端に少なく、就職難の時代だった。

たまたま経理のアルバイトを募集していた会社に入ったのが縁で、定年までその会社に勤めることとなった。人生の歯車はどこでかみ合わさるかわからないものである。

やがて履歴書が出来上がり、顔写真を貼り付けた。よく見ると、髪に白い年輪をまとった立派なおじさんの顔がそこにあった。改めて歳を感じながら、ため息を一つついた。

いよいよ面接日となり、久しぶりに背広に身を包み出陣。久々の背広はやはり気が引き締まる思いだ。まだサラリーマン時代の垢が少し残っている自分に苦笑いをした。最初に面接を受けた会社は、調理機械のメンテナンスと営業を目的とした募集だった。

「素晴らしい経歴ですね」

四十代と思しき面接官は、持参した履歴書を一瞥して告げた。それはそうだろう。一応営業部長、支店長、子会社とはいえ社長を経験しているのだからと少し誇らしげにほほ笑む気持ちを隠し、いえ大したことはないですと答えていた。

「募集業務は営業で機械のメンテも含みますが、大丈夫ですか?」

との問いに「はい、大丈夫です」と答え、脈がありそうな感触を得ながら、後日書面で結果をお知らせしますと申し送られ、定年後初めての面接を終えた。

しかし、後日送られてきた面接結果の書類には、不採用の文字がほほ笑むかのように印字されていた。え~どうして? 感触よかったのに。