次は、沖田刑事にとって、まことに残念ではあるが、香村良平の場合を推理してみるとこうである。
香村は、若山洋子に対し、秘かに好意を寄せていた。男の心の底なんてわからないものである。彼は若山洋子よりずいぶん年上であるが、彼が懸命になって若山洋子に近づいていこうとしたらどうだろうか。香村は毎朝、ジョギングしていた。その際、洋子が犬の散歩を日課にしているのを知る。彼は、自分も犬を飼い出す。そして朝、または夕方に散歩をする。そこで洋子と会う。犬の話から、二人の関係は急に接近する。そう言えば、香村家で犬を飼い始めたのは、この2年くらい前からのことで、若山家よりは遅い。女房は反対するんだが、コリーを飼うことにしたんだよ、と言った香村の顔が頭をよぎる。
香村の顔は、見ようによっては、心をくつろがせるような愛嬌に埋まっている。どちらかと言えば四角張った顔であるが、どことなく太った狸のイメージがある。それに対して、沖田自身は、眼光まことに厳しく狐みたいである。どちらの男に親しみを感ずるかなんて比較するまでもない。ましてや、若山洋子の夫は夜勤がほとんどである。少しでも淋しい心持ちを彼女が抱いていたらどうなるだろうか。香村は冗談とは言え、女房に、
「お前のようなデブッチョと違って、若山の奥さんはスマートで魅力的だ」
ともらしているのだ。
二人の関係は、誰にもわからないところまで接近していたとする。暗黙の合図が交わされて、香村は深夜に彼女の家を訪問する。洋子はためらうことなく、彼を迎え入れる。そして、情事に耽る。事件では、その形跡が認められなかったが、それは、その時に避妊具を使用していた、ということで容易に説明がつく。それから風呂に入り、ハムをつまみ、ビールを飲み、夫に知られぬように片付けておく。しかし、些細なことから喧嘩でもしたか、あるいは、二人がどうにもならない人生を清算するため、無理心中を図る。だが、洋子を殺したものの香村は死にきれなかった。そう思えば、事件が発生する前から、香村に元気がなかったのも頷ける。
これが原因だったのかもしれない。ひょっとすると、60歳近くになって、やっと彼に青春が芽生えたのだろうか。若山洋子の中に心身ともにのめり込んで行き、気がついた時には、引き返すこともできず、どうにもならないと思って、世を儚んだ、とも考えられる。彼は洋子を殺したが、自身のその行為が怖くなる。香村は、変質者による殺人事件のように偽装工作をする。
このように想定すると、とどまるところを知らない。あの事件の日、香村は、出署していなかったのである。