「様子を見ましょう」は見ないことと同じ
一部の保健所では、「子どもの発達に関する相談」の需要があるにも拘わらず平然と中止となりました。有識者の意見を聞くこともせずに、予算がないと子どもが犠牲になるのでしょうか。
子どもを大切にしない社会に未来はありません。発達障がいで悩んでいるお子さんを最後まで守るには、行政や政治とも向き合っていかなければなりません。
メールで時々、市・県議会議員とも相談します。その市・県議はできるだけ議会で発達障がいに関する話題を提供し、なんとか予算を回そうとしてくれています。予算がなければ知識が広まらず、理解のある保健師、保育士、教師、補助員など、人も雇えません。
今の日本は1歳半健診、3歳児健診で親御さんがお子さんの多動などを相談しても、たいていは、「もうちょっとすれば落ち着くから、様子を見ましょう」と言われてしまいます。様子を見て良くなるなら健診などやる意味はないのです。
この「様子を見ましょう」という言葉ほど、発達障がいを抱えるお子さんのいる親御さんにとって無力なものはありません。様子を見るといっても、健診のあとで1回でも電話があればいい方です。直接会って真摯(しんし)に相談に乗ってくれる保健師のなんと少ないことでしょうか。
「様子を見ましょう」は政治家の言う「検討します」「善処します」などとほぼ同義語で、「何もしない」ということなのです。
授業参観で自分のお子さんと、他のお子さんとの違いに気づく親御さんは多いようです。しかし、親御さんは保健師や保育士にさんざん言われてきた「様子を見ていいのだ」という言葉を思いだし、そのまま何もしないのです。
様子を見ている間も親御さんはずっと悩んでいるのですが、当然、発達障がいではないかもしれないという方に、心が傾くのです。誰も自分のお子さんを、積極的に発達障がいにはしたくありません。
たとえ周りが心配してくれても、母親はまだ病院へ行かなくても大丈夫という言葉の方を信じてしまうのです。そもそも診断は医師が行うものです。医師が今までひと言も大丈夫とは言っていないのです。
グラフを見ていただいてもわかるように、私のクリニックに訪れるお子さんの多くが小学生です。