私は、本当は人恋しくて仕方がないのにいつまでも車とぬいぐるみを家族としている。そんな私のことをずっと愛して欲しいと思っていて、そんな自分のことをいつまでも愛していたいと思っている。
エリックサティは言う。「自分が教祖で、信者は自分だけだ」と。
この言葉にとても共感した。だから富山の魚津の会館でグノシエンヌを弾いたのだ。魚津の会館というのは、私にとって教会のようなものだった。
ちょうどあの頃も雪が深々と降り、私は姉のような存在の女性と一緒に魚津の会館へ通ったのだった。
音楽が終わったら
中森さんは富山にいた頃に勤めていた海外投資会社の先輩で、私の姉のような存在だった。
「橋岡さん、一緒にグランドピアノを弾きに行きませんか?」
そう誘ってくれたのである。私達は約一カ月間ほぼ毎週魚津の会館へ足を運び、暗くなるまでピアノを弾いた。六年間も富山にいたのに、私はこのような素敵な時を一度も過ごしたことはなかった。
また、このような静寂に包まれた場所があることすら知らなかった。もっと早く知っていたら、どんなに富山での生活が実りあるものとなっていただろうか。
人生そんなものだ。そう簡単に大事なものには出会えない。私は五歳からピアノを習っていた。あまり覚えていないが、少しばかり音楽の才能があったそうだ。
ただ単に物覚えが早かっただけのように思うが、周りの大人達は、口々にこう言ったらしい。
「この子には音楽の才能があるから、ピアノを習わせた方がいい」
私には集中力があった。そして、子供のくせに自分の感情を胸の内に秘めているようなところがあった。
故にピアノを習い始めてからはめきめきと上達したし大人びた曲もこなすことができた。
私が育った家庭環境というものは、あまり穏やかではなかった。父親とは別居していて殆ど一緒に暮したことがない。