評価の基準は好きか嫌いかだけ
同じ会社で、同じ人事制度のもとで、同じ仕事をしていても、上司が変わるだけで評価も正反対に、真逆へと変わってしまうのは、なぜなのでしょう。
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企業の人事に携わる多くの社員及び関係者が、少しでも「フェアな評価」がなされるような「人事制度の構築」に取り組んでいます。また、常に変化する社会情勢に対応できるような仕組みを、作り上げてきました。
改善しようとする努力は大切ですし、今後も更に進化していくものと確信しています。しかし、いかに優れた制度やシステムを設けたとしても、仕組みを用いて実際に評価するのは、直属の上司です。
人事制度や、評価の仕組みが、直接部下を評価するわけではありません。たとえ自動評価装置のようなオート機能ができたとしても、運用が問題なく、円滑に進むとは思えません。
なぜなら、運用者が常に、「生身の人間」だからです。人間であれば誰しも、自分の言うことに、素直に従う者を、配下に置きたいと考えます。会社であれば、上司は自分の意に沿った、使いやすい社員を部下にしようとします(もちろん、例外はあると思いますが)。
諸事情で、仕方なく受け入れる部下もいます。また、「こいつは使える!」と思った部下が、実はそれほどでもなかったりします(この上司にとっては、の話ですが)。
しかし、上司は本質的に、自分と気心の合う部下と、気持ち良く、自分のペースで仕事をしたいと考えます。部下を評価する時にも、自分と肌が合うかどうか、気が合うかどうか、がいつのまにか判断基準となってしまいます。
更に、その傾向は、職責が上がれば上がるほど顕著となります。「上に行けば行くほど好き嫌い」たるゆえんです。上司が、会社の経営幹部ともなれば、職務権限も強くなるので、自分の意思を、もっと貫きたい欲求にかられるものです。
時と場合によっては、「俺は偉いんだぞ!」という態度に表れることもあります(個人差はありますが)。部下に対する支配欲も、必然的に強まり、「好き嫌い」が評価の基準として、色濃く反映されるようになります。
しかも、自分の意に反して、方針に素直に従わない部下がいたら、排除しようとします。異なる意見に耳を傾け、違うやり方を取り入れるくらいの度量も欲しいところですが、そのような懐の深い器を持つ人は、残念ながら、あまり多くいません。
たとえいたとしても、評価の段階になると、どうしてもギリギリのところで、「合う合わない」や、「好き嫌い」が作用してしまうものです。