最期までネグリジェで

苦しまぎれの作戦が功を奏して、私は安堵し、Bさんの自宅での日々をサポートすることに楽しみを感じられるようになりました。しかし、それ以上に私たちを楽しい気持ちにさせるものがありました。

それはBさんのネグリジェです。Bさんは同居しているお嫁さんととても仲が良く、そのお嫁さんが見立てたネグリジェをいつも着ていました。しかも訪問するたびにそのネグリジェが違っていて、どれもとても似合っていました。Bさんはスラッとしていてスタイルが良く、手足の指が細長くきれいなので、かわいいネグリジェを着たBさんは若い娘さんのような趣がありました。「かわいいですね」と声をかけるとBさんは恥ずかしそうに微笑み、お嫁さんはわが事のように喜びました。

しかし病状が進むにつれて鎮痛薬の量は徐々に増え、Bさんはベッド上で過ごす時間が長くなっていきました。本人は自宅で過ごすことをずっと望んでいましたが、息子さんは病状が悪化すれば再度の入院を考えていました。

そして不幸なことに、その日がついにやって来ました。腹部の表面、手術後の縫い合わせ部に膿が溜まり、そこが破裂したのです。致命的なことではありませんでしたが、手術をしてもらった病院に緊急入院となってしまいました。これでBさんのお宅には伺えなくなってしまうのか……と、かかわったスタッフの誰もが残念でなりませんでした。

ところが私たちの思いが天に届いたのか、入院から一カ月を経て、Bさんは自宅に帰ってこられることになりました。息子さんは再度の入院生活を通して、自宅療養の良さを再認識してくれたようでしたが、それ以上に、Bさんの最期を真剣に考えた末に、自宅で看取るという大きな覚悟を決めたご様子でした。

また自宅に舞い戻ってきたネグリジェ佳人へのサポートの日々が開始されましたが、Bさんの病状は一段と厳しさを増し、かわいいネグリジェ姿は以前と同じでしたが、もう何かを食べられるような状態ではありませんでした。夜間はお嫁さんが佳人の傍らで寝るようになり、しだいに付きっきり状態となっていきました。それでも私には時々笑顔を見せてくださり、調子が良いときはお嫁さんを笑わせたり、以前ほどではありませんが自宅療養を楽しんでおられました。ただ病状は確実に悪化していました。

そしてしだいに眠る時間が増えていき、会話もままならなくなってきたある日、Bさん宅を訪問した帰り道に、急に大きな雷が鳴り大雨が降り出しました。結局この日が私とBさんとのお別れの日となってしまったのですが、あの雷と大雨はBさんの生への叫びと涙だったような気がしてなりません。Bさんのお宅に最後のお別れに伺ったとき、お嫁さんが「ほかの患者さんのためにこれからもがんばってくださいね」と労ってくれました。

その声を背中で聞きながら、私はBさんが元気だったころのことを考えていました。