前夜の食事の時に初めて翔一郎の海外への希望を聞いた二人の女たちは別の感慨で朝を迎えていた。
美沙はその朝、一人だまって家を出て出勤した。「母子二人で暮らせば良いのよ」と心で泣きながら呟いていた。
今夜は帰れるかどうかわからない、そう思って出勤すると、教頭が「片山先生、お電話ですよ、ご主人から」と少々冷やかし気味に取り次いだ。美沙がいつものような軽口で受け取らず、少し緊張気味に受話器を握るのを見逃さなかった。
「はい、なに?」
「美沙、夕べは悪かったな、今日の夕食は外でしよう。おふくろには言ってあるから心配ない。池袋に出るからそこで待ち合わせしよう」
電話の向こうの翔一郎は美沙に有無を言わせない。
「はい。わかりました、では」
と、簡単に終えて職員室を出て、担任のクラスに向かった。
中学二年生の一クラスを担任しているが、三十五人の子供たちは最近心身共に成長し、時には美沙にも友達のように接してくる。美沙が比較的話のわかる教師であることを認めてはいるが、逆にそこに甘えが生じるらしい。軽い朝の挨拶を交わしながら、昨日の夜のことを忘れようと心がけた。
「先生、どうしたの? 顔色悪いよ」
子供というのは時として、察しが良く、ドキッとするようなことを言ってくる。
「そう? 今日は気をつけてね、本当に機嫌悪いかもしれないわよ」
と、美沙がいつになく暗い返事をしたので、何気なく口にしてしまったその生徒のほうがちょっと怯んだ。
「さあ、朝自習始めなさいね」
と、生徒の顔を見ながら「きっと、この一年で私はこの子達と別れることになるのだ」と、思っていた。