一人っ子の翔一郎の習性なのか「やりたいことはすぐ行動にしたい」と、五月に早速あった本年度の派遣募集に応募したいと思った。埼玉県の彼の勤務校ではまだこの制度に応募した者もなく、校長も熟知していなかった。当時市内では三人の教員が日本の勤務校に籍を置いて、アジア、豪州に派遣されているようだと、校長は早速調査してくれた。
「片山先生、僕は若い人たちのこういう挑戦は素晴らしいと思いますよ。推薦状はしっかり書くから頑張ってみては。ただ母上の信子先生をお一人にしてしまうのはどうなの?」
校長は、信子の後輩だったので、彼女の気性を知りながらも、一応心配をしていたのだ。
「校長先生、母は喜ぶと思いますし、恐らく赴任地にも遊びに来るでしょう、大丈夫です。どうぞよろしくお願いします」
と、その時はまだ妻の美沙にも話していない状況のまま自分の中で決定していた。「美沙も、おふくろから離れるいい口実になる」そんな風に考えていたのだ。
その晩、夕食のときに翔一郎は母と美沙の前でこの海外派遣への思いを告げた。
夕食後二階に上がった美沙は翔一郎に
「お母さんより、私には先に話してくれなくちゃ! 私は仕事を辞めなくてはならないんでしょう? 私の仕事ってそんなに軽いものなの?」
いくつもの疑問を夫に投げかけたが、美沙は悔しさで涙が止まらない。その日は階下の信子が息を潜めて聞いているのを十分意識しながら美沙は不満をぶちまけていた。
翔一郎はその夜の捨て台詞に「それじゃおれが一人で行くからいいよ」と言い残して、先に寝てしまった。