「さあ、少し時間がかかったから、ここからはさっと終わらそう」

「はい。腹腔内洗浄を行います」

お腹の中をもう一度きれいに洗う。洗浄した水が飲めるようになるまで何回も洗え、と教えられている。

腹腔鏡下虫垂切除術において、メインはあくまでも虫垂を切除することであり、腹腔内洗浄は手術の仕上げという位置づけである。しかし、この腹腔内洗浄は実は簡単な作業ではない。左手の鉗子で腸を避けて、右手の鉗子(かんし)で水を流して洗うのだが、腸は蠕動(ぜんどう)するため、確実に避けないとすぐに左手で抑えきれずに戻ってくる。腸が戻ってくると一旦右手も把持鉗子(はじかんし)に持ち替えて再度腸を展開し直す必要がある。一度で展開がうまくいかない場合、何度も持ち替えないといけない。こうしているうちにかなり時間がかかり、周りの人をイライラさせてしまう。

「もうおれがやるよ」

ついに田所先生の我慢も限界にきたようだ。むしろここまでよく我慢してくれたと思う。

手が止まりかけたところで交代させられて当然だったし、そもそも普通だったら緊急手術は執刀させてもらえない。

「すみません。お願いします」

僕は感謝の気持ちでいっぱいだった。

執刀医をおりた瞬間、自分の腕が限界だったことに気づいた。腹腔鏡手術では慣れないうちは無駄な力を使うため、かなり腕が疲れる。

「こうやって鉗子を使えばうまくできるんだ」

そう言いながら、腸を巧みにコントロールし、洗浄していく。最初は泥水のような濁った色をしていた洗浄水が、みるみるきれいになり、さすがに飲むことは無理でも、金魚が住めるくらいにはなった。

「よし、創を閉じて終了しよう」

手術は2時間30分もかかってしまった。標準時間は1時間程度だ。炎症が強かったとはいえ、田所先生が執刀すれば1時間30分程度でできただろう。