…なかなか難しい内容だな

「今日はもう帰るよ」

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「そうか。ではまた今度」

友人の家であの本を読むのはなんだか気が引けた。御巫が傍に居れば色々な解釈が得られ放題だとも思ったが、この手の話を聞くのはどうも気恥ずかしい。片想いの相手へと綴る恋文の訂正をしてもらっているような気持ちになるのだ。

それは出来上がった作品を読んでもらっているときも感じるのだが。早く読みたかった私は友人に礼を告げて、早々に彼の家を後にした。

「さて、と」

家に着くと軽くシャワーを浴びて気に入りの紅茶を煎れた。縁側にラグを持って行き、窓を開ける。気持ちのいい風が入ってきた。ごろんとラグに寝転がって本を開いた。

「……なかなか難しい内容だな」

本を開けば旧字体で書かれた文章が小さな文字でびっしりと書き連ねてあった。本は好きだし読むのに抵抗はないが年の所為もあってか小さな文字を長時間読み続けることはいささか苦痛だった。

これは少しずつ時間をかけて休憩をはさみながら読まなければ。長丁場を覚悟して、私は本を開いた。

『ねえ、聞いたかい? 近坂屋の下働きの弥助さんが築町屋の太夫と心中を図ったんですって』

『もちろんよ。近坂屋の旦那様もあの太夫のことをたいそう御贔屓にされていたじゃないの。しかも身受けの話も進んでいたって言うじゃないか』

『そうなんだよ。でも、弥助さんだけ死んで太夫は残ったって話さ』

『なんでまた』

『弥助さん、どうにもあの娘のことが大事だったらしくてね……。どうしても生き残らせたかったんじゃないかい?』

『そうは言っても……残された方は地獄を見るって話じゃあないか』

『可愛さ余って憎さ百倍……ってことなのかねえ、本心は……』

『報われない恋っておっかないねえ』

――出だしから強烈だ。太夫は残ったとあるが、どうも虫の息で後を追うようにしてすぐに亡くなったとある。河原に遺体が引き上げられたあと、男の方は晒し首にされたそうだ。遊女の方は近坂屋の主人の頼みもあり共同墓地に埋葬されたらしい。

これは回想だろうか。輪廻転生という言葉は私には馴染みがない。だが、昔の人にはこのようなことは当たり前に信仰されていたということを以前に御巫から聞いたことがある。

結ばれずして心中を図った下男と太夫も、来世では身分の差のない人生を送りたいと願ったのかもしれない。江戸時代は近松門左衛門の曽根崎心中という作品が話題を呼び、それに感化された男女が多く心中を図ったのだそうだ。