「では次の出生の謎に移りましょうか」そういって、磯部は二番目の項目に話題を変えた。

「この問題は、Ⅰ番の謎の続きのような感じになります。彼の実名だと考えられている厩戸の名の由来は、『日本書紀』によれば、母の穴穂部間人 (あなほべのはしひと) 皇后─ 少しむずかしい読み方の人名ですが、彼女が馬屋を巡視中に厩の戸が身体にあたり、その衝撃で安らかに出産されたからだとされています。しかしよく考えてみれば、臨月の皇后が馬屋を巡視したりするはずがありません。ですからこの話が作り話であることは明らかです」

磯部がそう解説すると、沙也香は首をかしげた。

「でも、どうして誰が考えてもウソだとわかるような、こんな話にしたのかしら。ウソの話を作るにしても、もっとほんとうらしく思えるような話にできたはずだけど……」

それは作家としての直感だった。なぜだかわからないけど、わざと作り話だとバレるような話にしたとしか思えない。沙也香はじっと考え込んだ。考えてみればみるほど、わけがわからなくなってくる。

「磯部さん。なぜ『日本書紀』の作者は、ほんとうの言い伝えを書かなかったんですか」

沙也香の言葉を聞いて、磯部は大声で笑った。

「ハハハ……その質問をぼくにしますか。前にもいいましたが、その答えがわかっていれば、いまごろは大学者になっていますよ」

「そうでした、そうでした」沙也香も笑いながら舌を出した。

「だけど、どうしてこんなにわかりやすいウソの話を作るのかしら。信じられないわ」

「だから謎なんですよ。次の[上宮]という名の由来にしても、天皇の宮の南にある上宮(かみつみや)に住まわせていたから、としています。しかし当時の日本では東を上(かみ)、西を下(しも)というのが慣習でした。北を上、南を下というのは中国式です。そんなよび方はまだ定着していませんし、おまけに上下が逆になっています。ですから天皇の宮の南にある建物を上宮とよんだという記事はウソだ、ということを当時の人は見抜いていたかもしれませんね」

「どうして簡単に見抜かれるようなそんなウソを書いたのか、ということも、当然謎ですよね」沙也香はつぶやきながら考える。

「でも名前の由来もすべて謎なんですね。どうしてそんなことになるのかしら」

そういいながら、『日本書紀』の作者は、なにかを隠すためにウソの話を造作した、という高槻教授の言葉を思い出した。しかしそれを口にするのは控えた。

「次の生年が不明、という問題も同じ要素が関係していると考えられます」沙也香のつぶやきを聞き流しながら、磯部は話を続けた。

「これらの謎は、出生と生い立ちがよくわからない、ということにすべての原因があるのかもしれません。ところが第Ⅲの問題─ 没年の食い違いは、それまでの謎とはまったく次元の違う問題です」というと、磯部は次の項目に話を移した。