第一部:1 訪問者
橘子は「えっ?」とかえすだけで、とまどいの表情をうかべるしかなかった。チャイムの音で玄関の戸を開けると、そこに現われた女性は、笑顔がとても素敵で感じがよかった。最初の「こんにちは」も爽やかな声で、礼儀正しいお辞儀にかしこまるくらい、きちんとして見えた。
ところが、お辞儀から顔を上げてこちらを見る女性の眼は、見開いたままかたまった。そのおおきく美しい眼に橘子は引き込まれそうになるのを感じつつ、自分も挨拶をかわそうとする間もなく、相手の発した言葉─
「あ、あの、妹さん?」
─えっ?
橘子のとまどいの色は、相手の女性にも伝染する。まるで鏡にうつされたかのように、その口が小さくぽかんと開いた。それを見て、自分もおなじ口の開き方をしているとおもったほどに。続けて、相手からも
「えっ?」
というのが見えた。声ではなく視覚的に。
その「?」をくるむ空気のかたまりが二つ宙にぷかりと浮かび、そのくるりとした曲面が空気全体に波を広げて、時間も一緒にくねらせているかのよう。もう一度「えっ?」ときこえたが、それが相手の言ったことなのか、それともさっき自分が言った言葉がくねった時間の所為でまたきこえたのか、さてはまた、自分が二度言ったのか、いずれとも判然としない。
なんだろう?
自分がそうおもうと、おなじおもいが相手からも吹き出しで出ているのが見えるようだった。このひとはなにもの?その内心の問いもまた、鏡のように反射されてかえってくる。
私は何者?という問いになり、橘子はとまどう。眼の前の女性は自分くらいの年頃で、相手が鏡に見えてもおかしくない。かの女の表情がかわらないのは、自分がずっとおなじ表情だからか。
橘子は口許を緩めた。とまどった時によくする癖。ぽかんとしていてもしようがない。やっぱり鏡だわ。相手の女性も口許が綻ぶ。かの女は、それから、眼許も和らげる。幾分相好がくずれたが、柔らかい表情になる。緊張が解けて、このひと綺麗だわと素直にそう感じた。