娘が作文書いたよと言って手渡してくれた
一体、このような障害を持った子供、夫婦、私達は一体不幸なのであろうか? このとき以来ずっと考え続けた難問でもあった。
その公園に着いた時はすっかり日も沈み、あたりは薄暗い。公園の中はもう誰もいない。一声、大きな声で「ショーくーん」と叫んでみた。しかし、その声は木々に吸い込まれて静寂につつまれる。
いつも乗るブランコの近くまで来たが誰も居ない。よく見ると、そのブランコは心持ち揺れているようであった。そんなブランコを眺めていると、ブランコに乗っているショーの姿を思いだしてしまった。
その瞬間、不覚にも涙が溢れてきてしまった。ちょっと泣き出したら涙が止まらなくなり、さめざめ泣いてしまった。
『何処に行ったのだ。ショー。ショー!』
また自転車で捜索開始。時間は夜の八時十五分位前。娘の通っている小学校を右手に見て、駅前の商店街まで来た。
娘の学校を見ながら、今更ながらに娘はここに通っているのかと思うと少し感慨深く思った。そう言えばショーのことばかり気にかけて娘のことはあまり気にしていなかったな、と少し反省。
そう言えばこの学校の側を通る度に思い出すことがある。娘が小学二年生であった頃の話である。休みの日であるかと思うが、娘が何気に作文書いたよと言って手渡してくれた。
娘が作文を書いたというのでやはり父親である私は興味津々で読み始めた。読み進めていくうちに凄い、もしかしたら私の娘は天才ではないかと思ってしまった。
いや、絶対天才である。親の私が言うのだから間違いはない。まさに親バカの極みである。
その作文は次のようなものであった。
タイトル「わたしのずっとまえのこと、今」
0才のころいつも元気で一どもびょう気をしたことのない元気なこどもでした。いつもみるくをのんでたのしい一日でした。ごはんもぜんぶたべました。あるひおかあさんがリュックをかってくれました。
いろんなおもちゃやぬいぐるみをたくさんかってくれました。そのおもちゃといっしょにねたり、もったりしました。
わたしがうまれたとき、しずおかのおばあちゃんもおじいちゃんもおおよろこびでした。おとうさんは「いつかおよめにいったらいやだなあ」といいました。