第二部 教団~1

やがて嵐が過ぎ去ってしまうと、井沢師は言葉を継いだ。

「皆さんの願いは今ひとつになりました。これを私たちは祈りと呼びます。皆さんはいま、この世界に偶然にも共に生きた仲間たちと一つになって祈りました。これを私たちは昼の祈りと呼びます。しかし、今日も皆さんはこれから一人一人帰られるでありましょう。そのとき皆さんは他人から切り離されて、たった一人で夜の闇と向かい合います。

そのときに、再びこの文句を口にして祈ってください。これを夜の祈りと言います。この昼の祈りと夜の祈りが共に実践されてこそ、人生とはたとえ話の体系であると言う第三の教えが生きるのであります。

さて、第一の教えについても解説しておきましょう。華水教は宗教ではない。これはどういう意味なのでしょうか。教父、戸隠仁聖師はこうおっしゃられております。

『かつてあらゆる宗教は傲慢であった。終末論的な宗教のすべては、神がこの世の終わりに現れて、神による理想的な地上支配を実現すると言っている。だが、それは間違いだ。華水教が真実であるのは、華水教の神は強い権力によらず神自身の自己犠牲によって、最後にこの世に幸福をもたらすからだ。すなわち』」