伊藤博文という最大の韓国の理解者を失って行われた韓国併合(1910年)により、日本の当初の計画からどのような変更がなされたのかは、聞く機会に恵まれずわかりませんが、明治天皇から代がかわっても、大正天皇に受け継がれた「韓国の維新をなす」という大御心の下で、日本の近代化よりも、短期間の内に朝鮮社会をつくり変える作業は、水面下で進められ大詰めを迎えようとしていました。
祖父靖国と祖母千代子の、事実上の国の命令による7月7日の結婚は、七夕伝説を織り込み、梨本宮方子さまと結婚されたことにより、天津神の一族(日本の血縁者)となられた李王垠殿下の皇帝就任という、近づきつつあった韓国の維新成功祈願のために用意され、結婚祝いの品として、大正天皇、李王垠殿下の思い出深い場所でもあり、帝都の東京駅同様に、新韓国皇帝の専用駅の顔ももつ「京城駅」に縁付けられたものでした。