そもそも今の時代、子どもをしめて、教師の考える「いい子ちゃん像の型」にはめ込むことに、どれほどの意味があるのでしょう。叱って子どもがよくなるのならいくらでも叱りますが、多くの場合、教師がすっきりするだけで、子どもには反発しか残っていないときがあります(根底にある愛情と責任感の差でしょう)。
ただし、ここで言っておきたいことが2つあります。
1つめは、子どもの成長を願って、あえてこの厳しい、いわば「嫌われ役」を引き受けて、奮闘している先生もいるということです。
同僚の教師と、子どものために、使命を感じて自分の役割を一生懸命やっていることを、読者の皆様にはどうかわかってほしいと思います。だから一面だけを見て、「あの先生は厳しいから嫌い」というにはもったいないと思いますし、そしてそういう先生が損する職場にならないことを願っています。
2つめは、いわゆる「しつけ」は大切だということです。
最近は「ブラック校則」というものが話題となり、子どもをルールで縛るのはよくない、もっと自由にさせるべきだ、という風潮もありますが、私はしつけは必要だと思います。しつけは理屈ではなく、実際の行動の中で身につけさせる有効な教育です。
例えば、お辞儀の仕方ひとつとってもそうです。美しいお辞儀は、それだけで相手に人柄と誠実さを伝えます。お辞儀をする理屈がわかっていても、実際にできなければ意味はありません。
食事の仕方であり、身だしなみであり、しつけは、子どもが円滑に人生を送るために、やはり必要です(ちなみにしつけを漢字で書くと「躾」となります。身を美しくするためのものです)。
そういえば最近、髪型のツーブロック禁止というルールの是非について大きな話題になりましたが、私は、問題はそれ自体ではないと思っています。各学校の現状もあるのですから(なんでもかんでもブラック校則という風潮には少し疑問です。嫌なら変えればよいですし)。
問題は、そのルールがあることについて、大人が納得できる説明ができないことだと思います。本来生徒指導のルールは、子どものためにあるのですから。