実際の教育活動の中で輝く「教育哲学」
教師は、授業力を高めなくてはいけません。授業力がなければ、子どもがひどい目にあってしまうからです。そこで私は、そもそもなんのために授業を行うのかを考えました。
■授業編~魚を与えるのではなく、魚の獲り方を与える~
1つめは、子どもがこの先の人生でいつからでも学ぶことができる「学び方」を教えるためです。
私は、学校に通う子どもがわからないことを解決する方法は、大きく分けて2つあると思っています。1つは聞くことで、もう1つは調べることです。
子どもにとって聞く相手は、先生、友達、親、専門家などです。調べる方法は、図書室の本や、辞書などがあります。
また、ディスカッション形式で話し合う中で考えを深める授業も大切です。教師と子ども、子ども同士、人と人が関わりあう中で生まれる学び方もあると感じてもらうためです。
先ほど述べたように、いくら映像での授業が流行しようとも、授業中の人間同士のやりとりで生まれる「ライブ感」は、一方的に情報を受け取るだけになってしまう映像での授業では難しいと思います。アーティストのライブDVDよりも、やはり実際のライブの方が感動するのと同じです。
授業というのは予定通りにならず、子どもの意見でつくられていくということも多々あります。そこが現場の教師の強みではないでしょうか。私は教師の教えるという行為と、子どもの学ぶという行為の相互作用を重視します。
2つめは、学びの入り口は身近にあると感じさせるため、自分にしか語れないことを伝え、学びをはじめる視点を与えるためです。
これからの授業では生身の教師の人間力が勝負になってきます。中学校の社会科でいえば、授業の中で出てくる単語を覚えるだけではなく、その単語から何を考えるか、ということです。