「あんたこそ、何もんや? 事件を、知らんのか?」
男が、パチパチと瞬きを繰り返した。やがて目を見開く、何か思い出して来たらしい。
「そうか、秀造くんの言ってた田んぼの話。なるほど、失礼した」
クルリと後ろを向くと、バタンと音を立ててドアが閉まった。
「何やったんや、あれは?」
高橋警部補と顔を合わせると、大きく肩をすくめて見せた。
またまたノックの音がして、三度目のドアが開く。
今度は、まりえだった。山盛りのにぎり飯を、大皿に盛っている。
「にぎり飯さ、結んできたぁ。これなら、手の空いてるときに、食べれるっすべ」
「うわー、えろうすんまへん」
礼を言う勝木に、笑い返し、まりえはバタバタ引き上げて行った。
気づくと、勝木はかなり空腹だった。朝から、ほとんど何も食べてない。さっとにぎり飯に手を伸ばしかけて、止めた。卓上の電話が、鳴り出したのだ。高橋警部補が、電話を取る。相手の話を聞くうち、表情が硬くなっていった。ひとしきり話して、受話器を置いた。
「何があったんです? 田んぼの脅迫がらみですか?」
高橋警部補は、首を左右に振る。
「獺祭の桜井会長は、烏丸さんと一緒でしたよね?」
桜井会長は、車が直るまで、ここに逗留するらしい。
「夕食を摂るって、出て行きましたなあ。間もなく戻るでしょう」
「朝、アルファロメオに追突した軽トラックが、見つかりました。聞いてたナンバーと、一致してます」
「ああ、あの当て逃げした奴」
「今しがた、播磨駅近くの交差点の赤信号に突っ込み、信号機を押し倒したそうです。幸い、本人以外に怪我人は、出てません」
高橋は、立ち上がって灰色の上着を手にした。
「どちらへ?」
「運転手の入院先に。どうも、ラリって運転していたようで」
「まさか! 脱法ライス中毒ですか?」
高橋が、こくりとうなずく。
「食べながら、運転してたようです。運転席の齧かじりかけのにぎり飯を分析したら、脱法ライスだったと」
「葛城警視には?」
「帰ったら報告します」
ドアの閉まる音と共に、風を巻くように高橋警部補が出ていった。
勝木は、まりえの作ってくれたにぎり飯の山を、未練がましく眺めた。再び手を伸ばしかけたが、引っ込めた。
今の話を聞いては、どうにも食べる気がしない。