第一部 生涯と事蹟
第二章 音楽学校時代
三 自転車通学
静岡県から上京し明治十七年一月明治法律学校(注・明治十三年創立、明治大学の前身)を卒業した環の父、柴田熊太郎は彼女の生まれた時三十一歳、母登波は二十七歳であった。熊太郎は卒業後、参事院御雇となっている。
ちなみに伊藤左千夫(一八六四~一九一三)も熊太郎と同じく明治十四年に千葉県より上京して明治法律学校に籍を置いたが、眼病のため卒業を果たせず帰郷している。
環が鞆絵小学校に入学した明治二十三年、熊太郎は芝区愛宕下町二丁目四番地へ、さらに同二十八年には芝区西久保桜川町七番地に転籍している。
環はこの桜川町の自宅から上野公園にある東京音楽学校まで自転車で通学したが当時若い女性が自転車に乗るなどは破天荒なことであった。それも目抜き通りを二里以上(約八・五キロ)も走るのであるから物見高い東都の耳目を集めない筈はない。
環より一歳年上で当時(明治三十六年)東京音楽学校選科でバイオリンを学んでいた田辺尚雄(一八八三〜一九八四)は環について次のように記している。(※11)