第一部 生涯と事蹟

第一章 生いたち

三 出生地

補説 二 母 永田登波の生家

「柴田さんは公証役場にお出になっていらっしゃったですね。三百円を貸してもらいたいというので、前のも返さないのに、昔のお金ではひと財産でしょ。おじいさまがおっしゃるのに嫁の面倒も見ないでまたそれだけ寄越せよと、いくらやっても切りが無い、登波が不憫だから娘を引き取ると、そう話なすった」

「里帰りをされたのですか」

「登波が悪くて引きとったんじゃない。あれも人間が利口だからこちらの厄介にならないと言い張って。気の毒なことをしたもんだ……って。私が嫁いだ時はおじいさま起きておいてでで、八月から具合が悪くなってお世話しましたので、その時いろいろお話がありました」

「本では熊太郎さんは女性関係が激しかったとありますが」

「それが本当でしょ。お妾さんお子さんが三人ございますけれど。お妾さんと言うんでしょ昔は。伯母さまの子は環さま一人きりでございました」

いとさんは子供が三人と語ったが、熊太郎は同郷のふささんとの間に五人の子供がありみな柴田に入籍させている。またスミさんとの間にも一人子供があり、環の母登波と離婚の後かなり経ってスミさんを後妻に迎えている。

「登波さんはこちらへお帰りになることはありましたか」

「ほとんど東京でした。おじいさまが具合が悪くていらっしゃいましたが、それから年忌とか、何とかの時はいらっしゃいましたが、ほとんど東京の後藤さんのところでした」

後藤さんとは麴町四番町に屋敷をもち金融業を営む登波の弟後藤佐一郎のことである。