世界トップクラスの経済力の歯車になるために、子どもがいるわけではありません。むしろ、子どもの幸せを第一に考えた教育が行われるとき、政治や経済や芸術などの各分野に、優れた人材が出てくるのではないでしょうか。

また視点を変えて、教師の負担という面ではどうでしょう。すでに残業時間が長いことが問題になっているのに、これらの変化に対応するために、また研修を行うのでしょうか。子どもと関わる時間はどこへいくのでしょう。

私は、今の公教育を、なんでもかんでもやりすぎだと思っています。「何をやるか」以上に、「何をやらないか」も重要なのではないでしょうか。そしてやると決めたことをやり切ることも……。

私が考える公教育の必要性は、これから各家庭の経済格差が広がっていくといわれる一方で、「やる気はあるのに、学ぶ機会がなかった」という子どもをなくすことだと思います。そして、「ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨くことができない」と言われるように、人が人から、人の生き方を学ぶ場だとも思うのです。

今は、学校以外にも優れた教育機関はたくさんあります。学習塾や英会話教室やプログラミング教室、スポーツ団体などがそれにあたります。本格的にやりたい子どもは、そこでやればよいのです。

全ての教育団体は、敵対関係ではなく、補い合う関係です。私は塾の中にも素晴らしい理念をもって活動されているところがたくさんあると思います。

また、経済的に苦しくても、今の日本だったらYouTubeやNPO団体でも、本人のやる気次第で学ぶことができます。学校教育の勉強は、抽象的な言い方になりますが「最低限」でよいと思います。そこから先は、子どもが自分の経験をもとに、必要なら身につけるでしょう。

だからむしろ、学校を卒業した後、必要なものを獲得するスキルを身につけておく方が大切だと思います。そして何より、子どもたちが幸せな人生をおくることができるような教育を行う必要があるのではないでしょうか。公立学校は今こそ人間による人間のための教育をはじめるべきです。