辺りを見回すと、ロビーの一画にコンシェルジェ・デスクがあることに気がついた。
「ちょっと時間が空いてしまったのですが、街には絵とか彫刻とかの画廊はありますか?」
「もちろんございますよ。ここは文化の町ポルトです。もしも特にお目当ての画廊がないのでしたら画廊通りを推薦いたします。二、三百メートルにわたって、数十軒の画廊がひしめいていますから」
「数十軒の画廊通り? さすがはポルトですね。それで、どの辺ですか?」
「ダウン・タウンの中心で、ここから車で十分ほどのところです。この地図に丸印をつけておきましょう。でも今日、全部の店が開いているかどうかは分かりませんよ。画廊って結構不規則のようですから」
これで昨日立ち寄れなかった画廊を覗くことができることになった。飛行場のトラブルは決して不運な出来事ではなく、強い流れの中にある、特別な運命を呼び込むために、まるで仕組まれたようになっていようとは、もちろん宗像には知る由もなかった。
また同時にこの運命は、別の場所にいるもう一人の人間にとっても同じことと言えたのだった。
昨日立ち寄ったカフェ・マジェスティックの手前でタクシーを下りた。十時を少し回ったばかりの時刻では、まだシャッターが閉められたままの店も多い。
ショッピング・モールは黒とベージュの石灰岩を加工した小さな歩石材で、二色に模様貼りされている。店員たちはシャッターを開けたり、ショー・ウィンドウに商品を並べたり、店の前に水を撒いたりなどして忙しそうだ。宗像もカメラを携えて久しぶりに気持ちの良いシャッターを切っていた。
ちょうど一本目のロールを撮り終えたときだった。カメラの裏蓋を開け、フィルム交換を終えたまさにその瞬間、信じられない光景が展開したのである。
ちょうど一台のタクシーが宗像の十数メートル前方で止まったところだった。後ろのドアが開くと、一人の若い女が姿を現した。そして宗像と同じ方向に向かって小走りに歩き始めたのである。
誰あろう、その女とは意外にもエリザベスだった。
※本記事は、2020年8月刊行の書籍『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
【登場人物】
宗像 俊介:主人公、写真家、芸術全般に造詣が深い。一九五五年生まれ、46歳
磯原 錬三:世界的に著名な建築家一九二九年生、72歳
心地 顕:ロンドンで活躍する美術評論家、宗像とは大学の同級生、46歳
ピエトロ・フェラーラ:ミステリアスな“緋色を背景にする女の肖像”の絵を26点描き残し夭折したイタリアの天才画家。一九三四年生まれ
アンナ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラーの妻、絵のモデルになった絶世の美人。一九三七年生まれ、64歳
ユーラ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラの娘、7歳の時サルデーニャで亡くなる。一九六三年生まれ
ミッシェル・アンドレ:イギリス美術評論界の長老評論家。一九二七年生まれ、74歳
コジモ・エステ:《エステ画廊》社長、急死した《ロイド財団》会長の親友。一九三一年生まれ、70歳
エドワード・ヴォーン:コジモの親友で《ロイド財団》の会長。一九三〇年生まれ、71歳
エリザベス・ヴォーン:同右娘、グラフィックデザイナー。一九六五年生まれ、36歳
ヴィクトワール・ルッシュ:大財閥の会長、ルッシュ現代美術館の創設者。一九二六年生まれ、75歳
ピーター・オーター:ルッシュ現代美術館設計コンペ一等当選建築家。一九三四年生まれ、67歳
ソフィー・オーター:ピーター・オーターの妻、アイリーンの母。
アイリーン・レガット:ピーター・オーターの娘、ニューヨークの建築家ウィリアム・レガットの妻。38歳
ウィリアム・レガット:ニューヨークでAURを主催する建築家。一九五八年生まれ、43歳
メリー・モーニントン:ナショナルギャラリー美術資料専門委員。一九六六年生まれ、35歳
A・ハウエル:リスボンに住む女流画家
蒼井 哉:本郷の骨董店《蟄居堂》の店主
ミン夫人:ハンブルグに住む大富豪
イーゴール・ソレモフ:競売でフェラーラの絵を落札したバーゼルの謎の美術商