第2章 社会

いきいきネットワーク​

肺炎が治り施設に戻った患者さんが幾ばくもなくまた肺炎で入院して来る。

「せっかく苦労して治したのに施設は何をやっているんだ。どんなケアをしているんだ」。

そんな医療側の批判に対し「私達の施設は医療機関と違う。検査もできないし看護スタッフだって少ない。そんな条件の中でケアをしているのに」とのケア施設の方々の反論。

介護保険のスタート時点でケア施設の方々は経験もあまりありませんでした。またこのようなケア施設に対し医療スタッフの理解もまだ不十分なものでした。そのような中で相互に不信感が生じていました。

「これではいけない」との思いから旧知の何人かのケア施設の方々に声をかけ、立ち上げたのがいきいきネットワークでした。介護保険がスタートしたばかりの時です。

当院の訪問看護センターが事務局となり、年に5000円の会費だけの自費運営の組織です。参加各施設代表による世話人会と年3回開催の研修会は、持ち回りの実行委員による運営です。代表世話人はケア施設の方に担当して運営して頂き、病院代表である私は顧問という形での参加にしました。

以来14年。この間「吸痰をどのように行うか」に始まり「腰を痛めない介護の仕方」「身体拘束ゼロに向けて」「認知症の理解」「口腔ケア」「嚥下障害とどう向き合うか」など様々なテーマについて研修してきました。また年に1回の研究発表会では各施設の取り組みが紹介されました。この中では「夜間の防災訓練」など貴重な発表もありました。

さらに地域の行政関係者、住民を交え、年に1回開催の木曽川サミットは同じ地域に生活する中でどのような地域づくりを進めていくのかがテーマでした。

こうしたネットワークの活動の噂を聞いて参加する施設が増え、歯科医、診療所などに加え坂下病院の医療圏である長野県の大桑村、南木曽町、旧山口村をはじめ旧坂下町、川上村の行政、社協も参加、さらに当地域の消防救急隊、長野県の消防救急隊なども参加する組織になりました。

そのような背景の中でサミットでは議会議員さんや地域の老壮会の代表、あるいは高校生までも参加して「こんな町に住みたい」討論を重ねて来ました。

ところが皮肉なことに市町村合併の中で、多くの行政関係者は同じ自治体になったからと撤退。さらに市の救急本部の理解が得られないと消防救急隊が退会。その後も留まっていた木曽広域消防も5000円の会費を出せないと先年退会されました。

こうして残念ながら木曽川サミットは開催出来なくなりました。しかしいきいきネットワークは続けたいと参加施設の強い希望があり現在も続いています。

先頃も当院の感染対策員会メンバーによる「感染予防について」の講義やリハビリスタッフによる「障害の状態に合わせた移動の仕方」の指導などの研修が行われました。

また当院から各ケア施設に地域の感染症の発生状況を常時情報提供しています。こうした研修を通じて一番の収穫は顔の見える関係づくりでしょう。

そんな顔の見える関係の中で連携もうまく行きます。MRSAや胃ろうに対する偏見があり入所制限があった頃、ネットワークに参加したある施設からは「うちは制限しません」との申し入れがありました。

地域包括ケア推進の施策の中で医療・介護の連携に補助金が出るようになりました。でもそのような補助金を頂かず活動してきた地域もあるのです。