Chapter6 理想と現実
「ちょっと待て」岩崎が口を挟んだ。「早坂の意見は危険思想じみている。そうやって為政者と奴隷が生まれていくんじゃないか」
早坂はニヤリとし、
「早い話がそうなんだ。このくらいコンパクトな集まりなら、いっそ一人に全権力を託して全体を引っ張らせた方が手っ取り早い」
「それじゃ独裁者だ。許されないよ」
「じゃあ、何かアイデアがあるのかね。柵作りの現場監督さん」
「おお、あるとも!」岩崎は立ち上がった。「俺の考えは、まだ検討段階ではあるが、あくまでみんなが平等に暮らしていく前提に立っている。まあ、聞いてくれ。
現代に戻れる保証が無い今、俺たちはとにかく生き延びるために、歴史を変えることを怖れず何でもやっていくべきだと思う。そう、怖れることは無い。考えてみてほしい。俺たちは時代を超えてはいるけれども、間違いなくこの世界に存在している。俺らがこうしてここにいること自体、歴史が変わらなかった証拠じゃないか?
だって俺らは現代人であり、同時に縄文人でもあるのだから。もしかすると歴史には海や川のように自浄作用があって、どんだけ作り替えられようと、元の流れに戻る性質があるのかもしれない」
「お前の根拠のない妄想など聞きたくない」
早坂は切り捨てたが、岩崎は続けた。
「俺は、歴史のことは歴史にまかせ、とにかく生き抜くために何をすべきか考えた。差し迫った課題は林の言うとおり食料だ。食料備蓄は当初の三分の一を切っている。このままでは冬を乗り越えられない。今すぐに新しい発想が必要だ。そこで提案したいのが、『経済の分業』だ」
「ブンギョー?」会議はざわついた。
「畑と柵工事以外にも何かするの?」
「仕事の割り当てはもうやってるじゃないか」
「これ以上何を細分化するんだ?」
「聞いてくれ」岩崎は一同を制した。「俺が言いたいのは、そういうレベルの分業じゃない。もっと大きな、いうなれば縄文社会全体を覆う、経済的な分業だ。
これは俺が経済学の講義で習ったことだが――経済には実物経済部門と金融経済部門がある。実物経済部門では実際にモノやサービスが生産され売買される。金融経済部門は実物経済に流れるお金の量を調整し、社会の経済を組み立てている。経済と金融が別個に働きあっている、この状態が分業だ。これを縄文時代に落とし込みたい。
俺たちには生産する力が全くない。かたや、イマイ村の縄文人は、生産はしても自分たちで消費するばかりで、手に入るものが限られている。双方の足りないものを補うために、俺らが金融の役割を担い、縄文人は実物経済を担う」
「具体的にどうするの?」林が尋ねた。
「お金を作るんだ」
「お金?」
「そう。俺たちがお金を作って、縄文社会全体で使ってもらうんだ。俺たちはその金で縄文人から食べ物を買う。今までみたいにタダでもらうんじゃないから気兼ねは無いし、彼らも利益になる。縄文人も金を持つことで経済活動がうまれ、メリットを享受できるだろう」
「ばかばかしい」沼田はすっかり呆れていた。「お店屋さんごっこじゃあるまいし。笹見平でお金を作ってイマイ村の人に『これをあげるから食べ物を頂戴』といって、誰が売ってくれるもんか。お金の価値を保証するものは何かね?」
「いい質問だ」
岩崎は口角を緩めた。
「それについて、俺にちょっと思い当たることがあるんだ。俺はいつも柵工事の監督で、足場の上にいることが多い。そこからいつも下の様子を見ているんだが――イマイ村の若者たちが来るだろう? 彼らはみんなと話をしている時以外は、しきりに足元を見ている。その足元はアスファルトだ」
「ああ、観光案内所からの道路ね」泉が言った。
「そう。縄文時代に舗装道路は無いから、さぞ珍しいだろうと思ったよ、その時はね。だけど、これを国文学専攻の砂川に話したら、意外な事実が分かった」
岩崎は砂川をうながした。砂川はじりじりして腰を上げ
「考古学の講義で習ったんだが、アスファルトは縄文時代後期から重宝されていたらしい。加工して矢じりや銛もりにしたり、土偶の補修に使われたりもした。黒曜石とヒスイに並ぶ貴重品なんだよ」
「そうなの?知らなかったわ」一同はどよめいた。
「だとしたら、これを用いない手は無い。お金はアスファルトとの交換券として発券すればいいんだ」
「金兌換ならぬ、アスファルト兌換ね」
「それならいくらでもあるからいいね!」林も声を弾ませる。