第3章 世界のパラダイム
ビフォアコロナ アフターコロナ
5 グローバリズムからコスモロジー
グローバリゼーションという言葉が一般化していったのは中国が2001年にWTOに加盟し、世界の工場として、各国の著名企業が続々進出していってからです。グローバリゼーションに乗り遅れた企業は生き残れないとばかりに、日本の中小企業にまで広がり、発注企業から、もし海外に帯同して進出しないならば、今後の関係を見直さざるを得ないという声がよく聞かれた頃でした。
グローバリゼーションとセットになっていたのは巨額投資、大規模工場、途方もない大量生産でした。中国におけるカオスに近い開発を許した要因は、低コストです。低コストは価格破壊を引き起こし100年デフレといわれるように怒濤の如く大量生産を行い、世界中を大量消費に導いたのです。
当然のことながら大量消費は大量廃棄を引き起こし、地球はいよいよ追い詰められたのです。中国の生産現場を見て、地球が壊れるのは時間の問題だと思いました。
しかし、現地でそのような話をしても、「命よりお金が大事」という答えが返ってくる始末でした。私はグローバル企業の理念に、孤高の経済学者、宇沢弘文氏が説いた社会的共通資本という概念が希薄であったからだと思います。