第一章 三億円の田んぼ
(五)
誰からともなく、皆、庭を眺めた。風が、強くなってきたらしい。塵一つなかった庭に、枯れ葉が舞い始めている。
冷めた茶を一口啜(すす)り、桜井会長がぽつりと口を開いた。
「多田杜氏にお線香を手た向むけたいのですが、お墓は岩手でしょうねえ?」
「地元に帰って葬(ほうむ)られました。杜氏の亡骸(なきがら)は」
「それなら、せめて。亡くなったタンクに、手を合わさせていただけませんか?」
桜井会長の言葉に、秀造の眉が上がった。どこか、ほっとしたようにうなずく。
「ありがとうございます。きっと、杜氏も喜ぶことでしょう」
何かを問うように、秀造が葉子たちに視線を向けてきた。タミ子が、それに応える。
「あたしたちも、一緒させてもらって、かまわないかい?」
「もちろんですとも。こちらから、お願いしたいくらいです」
残ったお茶を啜り終え、さて立ち上がろうかというとき。桜井会長が、軽く首を傾げ、秀造に尋ねた。
「ところで、今年の造り。杜氏は、どうされるんですか?」
それまで、しんみりしていた秀造の表情に、少しだけ赤みがさした。
「ああ、それはなんとか。新杜氏を、手配できました」
「おおっ、それは良かった。でも、大変だったでしょう?」
桜井会長は、良かったと言いつつも、心配半分といった感じ。
秀造も、難しそうな顔をしている。苦労を、思い出したのだろう。
「ええ、杜氏の四十九日が済むまで、何もできませんでしたから。それから、代わりの杜氏を探したんですが、遅すぎました。どこの蔵も、次の酒造りの体制決めてましたので。空いてる杜氏など、どこにもいやしない」
「そりゃ、そうでしょう。杜氏はもとより、蔵人一人欠けたって、支障きたしますもの」
「だからと言って、今の副杜氏は、まだもの足りない。せめて、あと一年は技術のある杜氏の下で経験を積ませたい。と、ちょうどそこへ、噂を聞き付けたと、自ら売り込みに来た杜氏がいたんです」
「誰ですか?」
「流離(さすら)いの杜氏とも呼ばれる、速水克彦さんです」
桜井会長が、手を叩き、目を見張った。
「伝説の杜氏だ。一年契約で酒蔵に雇われ、極めてクオリティーの高い酒を造るという。でも、高額な契約金を取ると聞きましたが?」
「背に腹は、代えられませんから」
葉子も、噂だけは聞いたことがあった。独学で腕を磨き、どこの杜氏集団にも属さない一匹狼の杜氏。腕は超一流だが、気難しくて、ぶっきらぼうだと。