第2章 なんとか一つの山を乗り越えた

その10 職場復帰しての様子
─時限爆弾を抱えたままの普通の生活─

私は、大学を卒業してから37年間、ずっと私立の中高一貫校に勤めてきました。初めは東京都の中高一貫校で16年間勤めて、その後に北海道の中高一貫校(私立大学の附属校)に16年間。そして、2014年の4月から京都にある私立大学附属校の統括部門に勤務することになりました。

その京都の職場に勤めているときに白血病を発症したのですが、1年間の入院を終えて元の職場に戻ることができました。

職場では、私の病状に気遣っていただき、外回りの業務を控えてもらって、室内での業務を中心にしてもらえるよう配慮をしていただきました。

こうした優しさにも支えられ、私は徐々に1日中の勤務にもなれて、机上の仕事が続いて体力がありあまるときなどは、休日にサイクリングをしたりドライブして買い物に出かけたりできるようになっていきました。

職場復帰をして体調も安定してきたので、主治医に、

「オーストラリアに海外旅行することは可能ですか?」
と聞いてみました。すると、

「白血球やほかの数値も良くなっているので、安全に気をつけながら旅行するなら大丈夫ですよ」
と言われました。

実は、私の姪がオーストラリアで結婚式を行うというので、できれば二人の結婚を現地で祝福したいと思っていました。結婚する二人はともに日本で暮らす日本人なのですが、ぜひオーストラリアのケアンズの教会で結婚式をあげたいということで、私たちも親戚として参加させてもらうことにしました。

8月23日の早朝にケアンズ国際空港に着いて、タクシーでホテルまで送ってもらいましたが、朝7時に着いたのでまだホテルのフロントが開いていませんでした。私たちは、ケアンズのマリーナのあたりを散歩して過ごしました(ホテルのフロントが開いていないなんて海外ではよくあることですね)。