七
従業員側は納得しなかった。
彼らのいい分は、「確かにトニーが説明したような状況ではある。しかし政府によれば、この根本原因は白人が去った後の農産物の生産が落ち込んでいること。これは農業従事者の経験不足によるものであり、早急に手を打っている。この効果が出てくれば農産物の輸出も増え、外貨獲得に貢献できる。また経済面では様々な施策をすでに実行に移しているので、ハイパー・インフレもやがて沈静化するとの見通しだ。だから今この市場から撤退するのは間違っている」との主張であった。
これを聞いて高倉は、やはり国民は現在の不況の深刻さを聞かされていない。政府からの楽観論しか入っていないのだろう、と思った。トニーはジンバブエ側のいい分に対して、「政府のことをいろいろ言うのはさしさわりがあるが、我々の得ている多方面からの情報によれば、事態はそんな甘いものではない。益々深刻になると予測している。だから一刻も早く事業を閉めないとかえってあなた方に迷惑をかけることになる」との説明を繰り返した。
双方の主張がぶつかりあって、一触即発の状態になったときに、ホテルのボーイがコーヒーとクッキーを持って来た。みんなの緊張をほぐすようないいタイミングだ。
コーヒータイムをきっかけに、今度は沈黙の時間が過ぎて行った。そんな膠着状態の扉を無理やり両手でこじ開けるように、高倉が支社長に向かって質問を発した。
「こちらの銀行口座の残高はどのくらいあるのか?」
この答えを彼自身は知っているが、あえて質問したものだ。
「退職金等諸々の引当金を除いて、こつこつ貯めた預金は五億ジンバブエ・ドルぐらいあります」
「それは米ドルでどのくらいか?」
続けて聞いた。
すると支社長の代りにトニーが、「ジンバブエ・ドルがかなり下落していますので、正確にはいえませんが概ね五万米ドルくらいです」と、公認会計士の資格保有者らしく明確に答えた。
「かなりの額だな」と高倉は言った。そしてトニーと支社長を交互に見ながら続けて聞いた。