一方、中国では文化大革命が進み、ベトナム戦争が泥沼化の様相を呈し始めます。浮かれていた日本とは対照的に、冷戦の大激動期だったといえます。
当時住んでいたのは大阪市内のアパートで、なにわ筋という広い通りに面した、都心の真ん中にありました。都心といっても近くには町工場や問屋が並ぶ下町の一角でしたが、このアパートは当時、公団住宅の中でも最新のもので、高層階用にエレベーターが付いており、4畳半の部屋からは繁華街のデパートが見えました。
今で言えばタワーマンションとまではいかないまでも、ちょっと先進的な住居だったようです。このアパートは今でも建っており、相当年季が入っていることに加え、周囲の高いビルに囲まれて目立たなくなりましたが、付近は再開発が進み高層マンションに若い裕福な家族が子供を連れて住んでいる、ちょっとした高級住宅街へと変貌しています。
私の家は典型的なサラリーマン家庭だったと言えますが、もっとも大きな特徴は、私と父親の干支が同じ午年であったこと。父親がまだ24歳、母親は22歳という若さだったのです。
この当時、平均的な親は20代後半で子供を産み、小学生になる頃にはすでに「中年」(この言葉は近年聞かれなくなりました)の域に達していた方もいましたが、私の両親はまだ若く、参観日などでは特に目立つ存在でした。
これは私にとって重要なことでした。それは両親の生まれた年代が少し違うだけで、その家庭の特徴が大きく異なっていたからです。
つまり、当時30歳前後に達していた一般的な「ひのえうま」の親世代は、太平洋戦争中に少年・少女時代を過ごし、戦中の教育にも多少の影響を受けた世代だったのに対し、まだ20代前半の私の両親は、防空壕へ逃げたり疎開したりといった幼児体験こそあるものの、戦争そのものの記憶はほとんどない世代なのです。
「ひのえうま」生まれの親世代は、平均的には戦中派に属しています。さらにその親は明治生まれが多く、家父長制の価値観が厳然と息づいていたと言えます。この戦前・戦中の時代をどの程度体験しているか、ということが、大変大きな違いをその子世代に残しているように思います。
と同時にこの世代は、幼少期に信じ込まされた戦争の正当性が、ある時一瞬にして否定され、以降は民主主義へとまっしぐらに突き進むという価値観の大逆転を、幼少時代の肌感覚で知っている世代ということです。
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