【前回記事を読む】「気性が荒く、男性を食い殺す」とまで恐れられた“丙午”生まれの女性…起源を辿ると、1668年に死刑となった八百屋の娘に行き当たり…
第1章 「丙午(ひのえうま)」とは何か
「女性が強い」と言われた年
結論から言えば、ひのえうま生まれの女性が、その他の年代の女性に比べ気性が荒いと感じたことは一度もありません。これは私個人だけの意見ではないようにも思います。
人口統計学や社会学の分析でも、そのような事実は確認されていませんし、当人もそのことを気にしている人は少ないのが事実です。同年代人の実感からしても、あり得ないことだと一笑に付すほどのものです。今ではそういったことが話題に上ることさえありませんし、そもそも「ひのえうま」を意識しているのは同年代の者だけではないか、という気さえします。
「ひのえうま」年代は、男女とも個性がくっきりとしているというよりも、、むしろおおらかで穏やかな人が多い、という印象を持っています。
その理由はやはり競争が少なく(あるいはそう言われて育ち)、おっとりとした性格になってしまった人が多いからではないか、ということもありますが、この年に生まれた人の際立った特徴として「第1子」の比率が突出して高い、という事実(『ひのえうま』(前出))によって裏付けられます(ただ、女性は常に強い存在ですから、ひのえうま生まれの女性が優しいとは限りません)。
昭和41年生まれ
私は昭和41年(1966)9月、大阪市で生まれました。父親は電機メーカーに勤めるエンジニア、母親は短大を出たばかりの専業主婦でした。当時、女性は結婚をすると会社を辞め、主婦になるのが普通でしたから、典型的な高度経済成長期の一般家庭で生まれたことになります。
この年の主な出来事の中では、日本の総人口が1億人を超えたことが注目されます。戦後20年を経て高度経済成長を謳歌する中で、さらに「いざなぎ景気」が始まります。ビートルズが来日し、カラーテレビが普及し始めました。この頃、沖縄はまだアメリカの統治下にありました。