【前回記事を読む】「男を食い殺す」根拠なき迷信で出生数25%減――“人口のくびれ世代”が見た日本社会の転換点とは

第1章 「丙午(ひのえうま)」とは何か

丙午(ひのえうま)とは

十二支に加えて十干まで意識する機会は、現代では極めて限られますが、高校野球の聖地である阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)は、「甲子(きのえね)」の年に完成したことから名付けられたようです。

この「きのえね」の年は縁起のいい年であるとされており、そのこともあって命名に相応しいと判断されたのでしょう。

このように干支は、その種類によって縁起がいいとか悪いとか、様々に言い伝えられる習わしがありました。

科学的な根拠はありませんが、近代になるまではまことしやかに信じられていたものも少なくないだけでなく、新しい時代に入ってもなお、その習慣が消えないという現象がありました。

今年60年ぶりに訪れた「丙午(ひのえうま)」は、その中でも最も有名なものです。

かつて「ひのえうま生まれの女性は気性が激しく、夫を食い殺す」などという、今では大笑いをしてしまうような女性差別的言い習わしがありました。

その歴史を繙(ひもと)けば、江戸時代の初期に行き当たります。時は寛文8(1668)年、江戸に住む八百屋の娘が、恋人に会いたいと思い詰めて放火事件を起こし、捕らえられて死刑になりました。

後に井原西鶴が『好色五人女』で取り上げた「恋草からげし八百屋物語」に登場する江戸屋の娘「お七」が「ひのえうま」の生まれだったのです。

干支は古くから、広く東アジアに広がる概念ですが、この迷信は日本特有の、しかも近世に入ってからのものに過ぎません。

ところがこの迷信が、以降60年周期にやってくる「ひのえうま」のたびに、この年に生まれた女性に悲劇をもたらすこととなりました。国家規模の社会現象として、出産を忌避する傾向が見られるようになっていきました。

「ひのえうま」は江戸時代だけで、計4回巡ってきました。まだ平均寿命が短く、しかも産児制限の方法も今とは比べ物にならないほど未熟だった時代に、どれほど多くの悲劇が起こったかは想像に難くありません。

この各時代の文献を詳しく調べ、人口の推移などを可能な限り分析した吉川徹著、『ひのえうま江戸から令和の迷信と日本社会』(光文社新書、2025年)は、その頃の様子を詳しく扱っています。

それによれば、江戸時代という封建社会にあって、「ひのえうま」の迷信が繰り返し喧伝されてきたのは、「家父長制的イデオロギー」を「体現せざるを得ない少数のスケープゴートを無理やり作って、これを苛むことで、イデオロギーの拘束力を強固にしていた」と分析しています。

それが為政者の明確に意図するところでなかったとしても、そういう効果が生み続けられてきたというわけです。