ところが、この「ひのえうま」の悲劇は、明治時代に入っても続きました。

私の生まれ年である昭和41(1966)年の60年前、すなわち明治39(1906)年のことです。

この頃は富国強兵の時代、日露戦争の直後に位置しています。

戦争で戦地に赴かざるを得なかった若者も多い中、一定の出生数減少が起こりました。

明治維新から何十年も経ち、近代化がある程度進んだ時代であったにもかかわらず、古い迷信に基づく悲劇が起こったのには、江戸時代とは別の要素が考えられます。

吉川は当時のメディア(新聞)の普及などとの関連性を指摘していますが、それはまさしく、現代におけるSNSなどを通した流言飛語の類、根拠のない誹謗中傷とも言えるのではないかと思います。

だとすれば、その世代がまだ現役で生きていた昭和の「ひのえうま」において、再びこのデマが、さらに大きくなったメディアによって誇張、拡散され、進化した産児制限の普及も手伝って、史上最大の出生数減少をもたらしたことが容易に理解できます。

昭和41年は、戦後の人口ピラミッドにおいて、その出生数が前年比で25%も少ない136万人、前年は182万人ですから実に50万人近くも少ない年代が誕生したというわけです。

ちなみに翌年は194万人ですから、その数の少なさは際立っており、その記録は少子化が徐々に進行した平成元(1989)年まで破られることはありませんでした。