【前回の記事を読む】「永遠に変わらない真理」は、人生に何の役にも立たない。善と悪が共にあるのに、「善」を選んで真理とする、その考え方に異を唱える。
第1章 東アジアの総体的な自然主義の目で見る西洋の精神思想の誤り
2.西洋の哲学的思考体系の生まれつきの誤り
仏教やヒンドゥー教も、人間の「生・老・病・死」の苦しみから抜け出す(解脱)人生の道を「課題(悟り)」として設定し、前提において、人間が自ら選ぶその道を見つけて「悟り」を得た後に、人間の心を「本当の自分(無我)」と「エゴ」に分けて、「本当の自分(無我)」を選び、「エゴ」を捨てれば、人生の苦しみから自由になれると教える。
人生とは、身体を中心とする「生存本能(エゴ)」と、全体意識である「霊性本能」の二元性の意識からなるシステムである。この二つの意識は「一つの心」であり、分離することはできない。人生は主に、自律神経である「交感神経」に従って、生存本能(エゴ)が先に反応しながら生きていく。
第1次精神革命期の2500年間の歴史は、客観的事実の「哲学」と、主観的(人間・人生・共同体中心)の選択である「倫理」を区別しなかった、混乱の歴史である。主観的選択を「客観的真理」だと無理に主張するために、長々しい論理や弁論が必要になった。
哲学とは、善と悪、愛と憎しみ、天使と悪魔、天国と地獄、正義と不正、平等と不平等、自由と不自由など、二元性で組まれたシステムである「宇宙自然」の客観的事実を語るものであり、倫理とは、人生と共同体を中心に、善と悪、愛と憎しみ、幸福と不幸の中からどの選択をして生きていくかを語るものである。
「事実の哲学」と「選択の倫理」を区別して語れば、複雑ではなく、すっきりして明確になる。
しかし、「神と真理は善であり、愛であり、美しい」と断定し、人間の主観的で理想的な選択を「真理的事実」だと歪めて主張し、大衆に教えてきた。
3.東アジアの世界観は2500年前から一貫して総体的自然主義である
東アジアの「天地人思想」と「太極思想」は総体的だ
「天地人(自然の法則・自然現象・人間)」の三つの要素は、水平的で、統合的な関係にあり、すでに完成された全体である。これを疑ったことはなかった。
陰と陽の二つの相反する性質は、一つの「太極」の中にある。陰と陽は絡み合い、重なり合い、同時であり、相補的な関係である。一つの中に二つの性質、すなわち二元性である。
東アジアの「太極思想」は、一つの原子の中で、陽電荷と陰電荷が互いに押したり引いたりしながらスピンと回転をして、エネルギーになるという現代の量子物理学の理論と異ならない。