【前回の記事を読む】不幸を避け、幸せな人生の道を探す。「部分の目」ではなく「全体の目」で世界と自分を眺める。私たち自身の生き方を捉え直す。

第1章 東アジアの総体的な自然主義の目で見る西洋の精神思想の誤り

1.はじめに

地球と太陽と宇宙は、変わることなく自ら自転と公転をしている。原子の中で電子は、変わることなく休まずに自らスピンと回転をしている。直進運動をせずに変わらぬ場所で回転するためにエネルギーとなる。

自然は最初に戻りながら循環し、変わることなくアイデンティティを維持しつつ、変化している。「世界は変わる」と断定するのは誤りである。「変わらない」と断定するのも誤りである。

数万年、人類は人生で、感覚的な情報と知識で言語を作り、互いにコミュニケーションしながら生きてきた。西洋やインドの思想が語る「変わらない真理(神)や実体の世界」が現実として現れて人類を救ったことは一度もない。

それは観念の中だけにある虚構の設定だからである。感覚的な情報と言語でコミュニケーションしながら生きる現実の人生が主流の人生である。決して幻想でも偽物でもない。

変わらない世界では、生物は生きることができないであろう。「変わらない」とは、エネルギーがなく、時間がなく、止まって死んでいるという意味になる。

しかし、宇宙自然のすべてはエネルギーである。生きて運動している。エネルギーは休まずに運動(回転)し続け、運動するから時間が生まれ、時間があるから生命が生きることができる。止まっている生命など存在できないではないか。

「永遠に変わらない真理」は、人生において何の役にも立たない幻想にすぎない。

2.西洋の哲学的思考体系の生まれつきの誤り

西洋の思考体系は、古代ギリシャの自然主義哲学思想(第1次精神革命の始まり)― 中世キリスト教の神中心主義思想 ― 近代の理性中心の伝統的哲学 ― ポストモダニズムと伝統哲学の解体 ― 科学的自然主義思想の世界化、という流れで発展してきた。

神中心主義―人間中心主義(ルネサンス)―科学的自然主義へと変化してきた哲学の歴史である。東アジアの総体的自然主義の思考体系は変わることなく、一貫してさらに成熟してきた。

西洋哲学の誤りの「原罪」は、「分離による選択」である。決して分けられない全体的な有機体(システム)を分けてしまい、(人間が)主観的に選択して、その選択が真理だと断定的に言ってしまうという、根本的な誤りである。

心の二元性である「善」と「悪」の中から「善」を選び、「真理は変わらず善である」と主張する。善と悪が共にある人間の感覚的現実は、真理ではなく偽物だとけなす。