西洋哲学の誤りの原罪は、善と悪が共にあるという事実(真理)から、人間の主観で善を真理だと「選んで断定」することから始まる。しかし、数万年の人類の歴史の中で、善と悪が分離されたことは一度もない。これは東アジアの「一元的」で「有機的」で「全体的な」、すでに完成された全体システムとして世界を見る世界観とは異なる。
「有機体的全体論」と「機械的還元論」は西洋哲学の古くからの論争点である。一人の人間生命体を分解し分析して、たった一つの細胞に集中し、「人間と人生とは、一つのDNAを守って次の命へ伝えるだけの機械に過ぎない」と書いたリチャード・ドーキンスの本に熱狂する現象は、現代にも生き残る西洋人たちの分離主義的な態度と情緒をよく表していると言えるだろう。
近年では「システム生命大学」と大学の名前を変えたり、「システム生物学科」「システム生態学科」を新しく開設して、ドーキンスのDNA中心の分離主義的生命論は解体されつつある。生命システムは、生態系全体を包み込んだ宇宙自然のシステムである。
宇宙自然の「地・水・火・風(ち・すい・か・ふう)」のうち、どれか一つでも分けて欠けさせてしまえば、生態系は崩れ、成立しなくなる。決して分離することはできない。
なぜ西洋人は「分離的・分析的」な思考に集中するのだろうか。
インド語もヨーロッパ語系に属し、ヨーロッパ語は「分析的・論理的構造」を持つという評価と無関係ではないように思われる。インド心理学の分離的・分析的論理もヨーロッパに負けないレベルにあるようだ。
心が言語を作り、また言語が心を導いているのである。最初にプラトンが「イデア」と「感覚的現実」とを分け、キリスト教が「神・人間・自然」を分け、近代には「理性的知」と「感覚的知」を分けた。
西洋哲学とインド哲学が、感覚的現実と真理の世界を分けるようになった原因がある。
それは、「客観的に事実を見るべき哲学」と、「人間の主観で望ましい人生と倫理を選ぼうとする倫理学」を区別しなかったことで起きた混乱である。
第1次精神革命以降、人類の哲学と宗教思想はすべて、善と悪について哲学的に思考しながら、「真理は善である」と選択的に断定したことで、善と悪を共に持っている「人間性」は真理ではないと断定するようになり、変わらず善なる「イデアの世界」を理想の世界として別に設定するようになった。
次回更新は11月4日(水)、20時の予定です。
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