そう思って花売りに声を掛けると、あれよあれよという間に、両手いっぱいに優しい紫色の花がついた枝を抱えることになってしまいました。
「これ……えっと、その……気が付いたらたくさん買わされてしまって……でも藤の花は、魔除けになるんだそうです……」
真っ赤になりながら僕が抱える大きな花束を見たお雪は、振袖(ふりそで)新造(しんぞう)時代に習ったこの花の花言葉を思い浮かべるとともに、その胸の奥にチクリとした痛みを覚えました。
恋心、優しさ、そして、「ずっと離れない――」それが藤の花言葉。おそらく、こんひとは知らないであろうこの花の表す意味が、その本心なら良いのにと。
その瞬間、これまで見て見ないふりをしていた想いが、もう無視できないほどに大きくなっていることに、お雪は気づきました。――こんひとに恋している、と。
大きなため息とともに、視線をうろこ雲の秋空から木戸に戻した僕は、暗たんたる思いのまま、すぐ右側の引手茶屋に入りました。名を告げると、慣れた様子の若衆(わかいす)にいつもの部屋へと通されます。こうしてここへ通うのは、もう何度目になるだろうか――ぼんやりと考えながら、茶屋へ迎えに来た案内の禿(かむろ)に僕はついていきます。
「おいらん、絵師さんが来んした」
禿(かむろ)が部屋の主にそう声をかけるのを、僕は鬱々とした思いで眺めていました。
「大旦那に、いい加減に、と急かされて参りました……」
金箔を散りばめた赤い襖絵の、よく整えられた本部屋に通され、太夫の目の前に座しながら僕は言いました。
絵を仕上げる――それはこの穏やかな時間の終わりを告げ、深雪太夫が四十も年上の武左な大旦那の妾となり、暗い鳥籠のような妾宅に匿われるということ……おそらく、もう二度とこうしてふたりが会うこともなくなる、ということです。
「そうでありんすか……」
寂しげな表情を浮かべてそうつぶやいた太夫を、同じぐらい辛く切なげに見つめ返す僕。
この表情が、自分と同じ想いがその理由であれば、どれだけ嬉しいことか……絶対に伝えてはいけない言葉を飲み込みながら、僕は一輪の花を彼女に差し出しました。
「これは……お雪さんの唇とおなじ色の、この花の名は――薔薇と申します」
薔薇を手渡しながら、
「一輪の朱色の薔薇には、いつまでも、とか……あなただけ、という意味があるそうなんです」
僕は気恥ずかしそうにつぶやきました。
「お花はいつか枯れてしまいますが、それならきっと、いつまでもお雪さんに寄り添っていられるかなって……」
お雪がそれを手にすると、それは本物の花ではなく、一輪の薔薇を見事なまでに模った簪(かんざし)でした。
お雪は掌の中に収まった簪を見つめたまま固まりました。
滑らかな肌理のそれは繊細な彫金が施されており、花の部分は上質な赤漆に塗られ、まるで本当の薔薇の花弁が閉じ込められたかのような見事さでした。
彼女は指先でそっとその薔薇の形を撫でると、ふと目元を緩ませました。
「……本当(ほん)の花のように咲いてありんす」
囁くような声ですが、喜びが滲んでいました。いつもなら静かに頭を下げて受け取るだけだったお雪が、今日は少しだけ顔を上げて僕と目を合わせます。
僕は、お雪の穏やかながらも切なげな眼差しに胸を締め付けられる思いでした。
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