【前回記事を読む】北米・南米の両大陸をバイクひとつで一周することに…出国手続き中、手が震えて文字が書けなくなった。書類が死亡宣告書に見えて…
第一章 北へ ロサンゼルスから北極圏のプルドーベイまで
ロサンゼルスにて
6月1日
マレーシア航空MH092便は、ロサンゼルスに現地時間の午後到着した。ロサンゼルスを旅の出発地に選んだのは、ロサンゼルスがアメリカ西海岸に位置し、他の都市に比べて日本との距離が近く、日本から船でバイクを送るのに便利で物流の盛んな港があるからだ。
高校時代に同級生であった友達が、ロサンゼルスの学校に留学していたのも奇遇であった。ロサンゼルス空港の観光案内所で安いホテルを探し、日系のダイイチ(第一)ホテルに宿を決めた。ホテルに到着して分かったのは、ホテルは日系でも、ホテル従業員は日本語をほとんど話せないことだった。
ホテル内の公衆電話から、ロサンゼルス市内に住んでいる友達に電話をしたが、全然繋がらない。繋がらない原因が僕には分からない。電話が繋がらないことをホテルのフロントスタッフに何とか英語で伝え、正しく電話をかける方法を教えてもらい、悪戦苦闘の末にようやく友達に電話が繋がった。
電話一本掛けるのにこれだけ苦労したのでは先が思いやられると、自分の事ながら呆れた。
電話の後、友達が早速ホテルに訪ねてきてくれた。異国の地にあって友達との再会は嬉しく、心強いものである。その友達の誘いもあり、次の日にはホテルから彼の家へと宿泊場所を移した。
バイクは東京港からロサンゼルス港に向けて、船便で数か月前に送ってあった。バイクの輸送は、日本の大手運輸会社に依頼した。実は、僕が日本を出発する1週間前に、その運輸会社から嬉しくない電話が僕のところに来ていたのだ。
バイクを乗せた船はロサンゼルスに無事到着したが、ロサンゼルスの税関(物品をアメリカへ輸入することを許可する機関)が、僕が発送したバイクのロサンゼルスへの通関(輸入手続き)を拒否しているとのことだった。