プロローグ
令和6年2月25日――
東京都文京区のT大学本郷キャンパスでは、一般選抜の第2次学力試験が行われていた。
法文2号館大教室は理科一類の受験生の緊張と熱気に包まれていた。午後4時、もうまもなく数学の試験が終わろうとしていた。
神奈川県立A高校3年、下沢悠太(しもざわゆうた)は窮地に追い込まれていた。6問中まだ2問しか解答できていない。数学が頼みの悠太にとっては絶望的だ。
(あと1問解いて半分は取らないと……)
先ほどから素数か回転体か、そのどちらかの問題に狙いを定めているが、双方を行ったり来たり、一向に解決の糸口が見えてこない。
壁時計に目をやると、残り30分を切っていた。
(時間がない! 早く決めるんだ!)
自分に強く言い聞かせ、大きく息を吸い込んだ。
(よし。回転体だ!)
第5問
座標空間内に3点P(1,0,0)Q(0,1,0)R(0,0,1)をとり、Sを線分PRの中点とする。三角形PQSの周および内部をx軸の回りに一回転させて得られる立体の体積を求めよ。
(『令和6(2024)年度東京大学第2次学力試験問題 数学【理科】』)
悠太は、解答欄の冒頭に描いた図に集中した。
三角形PQSをx軸の周りに回転させる……。頭の中で図形を回そうとするが、なかなか形状をイメージできない。図形がx軸に対し斜めに傾いているからだ。ドーナツのように中が空洞になるはずだが……。
回転体の体積は、断面積をxの関数で表し積分するのがセオリーだ。つまり、x軸に垂直な平面x=tで三角形PQSを切ったときの線分を求めて、それをx軸の周りに回転させる。線分の端のx軸から遠いほうが外周、近いほうが内周のドーナツになるはずだが……。
いや、そんなに単純じゃないか……? x軸と線分の位置関係によっては、そうとは限らない。線分の中点が内周になる場合だってありそうだ。
(落ち着くんだ。イメージじゃなく計算で行け!)
Sの座標は(1/2,0,1/2)、つまりSのx座標は1/2だから、0≦t≦1/2 と1/2≦t≦1で分けて考えよう。そして、三角形PQSの断面形状は、各辺と平面x=tとの交点の座標を割り出したあとx軸との距離を求めればいい。
不意に鼻水が垂れてきた。啜(すす)った。
また、垂れてきた。今度は強く啜った。
次の瞬間、白い答案用紙に鮮血が滴(したた)り落ちた。
(えっ!)
慌てて人差し指を鼻の下にあてがった。左の穴からの出血だった。
許可を得て机の上に出しておいたティッシュを数枚取り、丸めて鼻の穴に押し込んだ。
試験監督員が歩み寄ってきて、「大丈夫ですか?」と書かれたメモ用紙を差し出した。
「あっ、はい」
悠太は短く答え、天井を仰ぎ見た。口で大きく息を吸い込んだ。
心臓が高鳴っていた。血が止まらなかったらどうしよう。
(ああ……?)
気が遠くなるような感じがした。
(しっかりするんだ!)