上海英国租界見聞

一八六二年、六月の梅雨時に晋作らが乗り込んだ帆船千歳丸は長崎港を出帆した。

長崎から東シナ海を経て太平洋にこぎ出した千歳丸は上海到着まで一カ月かかった。風待ちの日が多く、東南アジア特有のモンスーン気候のせいで雨ばかりで船中は蒸し暑かった。

晋作は甲板に出て涼んだり同僚と二人で船室で素っ裸に近い格好で汗ばんだ体に風を当てて過ごした。

晋作は軽い船酔い程度の気持ち悪さで済んだが、薩摩藩の五代友厚(ともあつ)を含む二十名余りの幕府派遣員は酷い船酔いを乗り越えて全員なんとか上海に辿り着いた。

上海港の岸壁から陸地に上がった時は安心感で感動し、晋作は同行の若者らと皆で大きく雄叫びを上げた。

揚子江は対岸が見えないほど遠くにあって、これが本当に川なのかと晋作は不思議に思った。

その後晋作達は英国の上海租界地と揚子江を隔てて北側にあるオランダ商会の近くにある、幕府が予約している宿舎に入った。

上海の地も海上同様に梅雨どきで小雨が降る日が多かった。晋作は上海の梅雨も日本の梅雨と変わらないと思った。英国租界地の道は広く整然と整備され、真っすぐに延びていた。

しかもどの道にも日本にはないマロニエという上品で立派な木がゆったりした間隔で植えてあり、租界地全体が緑の中にある風情だった。

規格通りに切り取られた灰色や白の石造りの建物には大理石が多く使われていて、三階建てが多く、列強毎の境界にある建物には四階建てが多かった。

街を歩く欧米人は白人が殆どで、背が高く着ている物も立派で姿勢がよく目立っていたが、この国の住人である筈の清国人は殆ど見かけなかった。見ることがあっても皆背を丸め下を向いておどおどしながら通り過ぎていた。

租界地域で最も風格があるのは英国租界で、日本人に馴染みのオランダ商会やフランス租界は英国租界地と揚子江を隔てた北側の対岸にあって、規模は小さく英国より劣って見えた。

試し読み連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

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