ダイアナ妃の事故があった後、しばらくオルソープ・ホールは公開を中止していました。

公開再開となってからの変化は、ダイアナ・メモリアル・ホールが建てられ、池の中央に浮かぶ小島がダイアナ妃の安息の場所となったこと、笑顔ではなくやや物憂げに視線を落とすダイアナ妃の肖像画が歴代ファミリーの肖像画に並んで掲げられたこと、観光客が増えたことにより従来の静かな場所ではなくなったことです。

ダイアナ妃は、1986年5月8日から5月13日までの間、チャールズ皇太子とともに来日され、5月12日に日産の座間工場を訪問されました。座間工場は、私が日産に入社してまもなくの時期に2か月間の生産工場実習を経験した場所です。

当時、日産は1984年に英国のサンダーランドで英国日産製造(NMUK)が操業を開始していたこともあったことから、訪日の際の訪問予定に組み込まれたものと思います。

ダイアナ妃は、1997年8月31日夜にパリ中心部のトンネルの中で、乗車していたクルマが追いかけ回してきたパパラッチたちを振り切ろうとしているうちに壁に激突大破した事故に遭遇して命を落とされました。

その日以降、とりわけ1997年9月6日土曜日の国民葬をピークに、英国民の受けた衝撃と悲しみは甚大なものでした。

ケンジントン宮殿、バルモラル宮殿の門前は英国民による献花であふれかえりました。ウェストミンスター寺院で行われた国民葬の様子はBBCテレビで生中継され、ほとんどの英国民が家庭やパブでテレビを見ていたに違いないでしょう。

私たち家族もテレビでダイアナ妃の棺を乗せた霊柩車がロンドンを出発して高速道路M1に入り、ノーサンプトンに近づきつつある様子を逐一見ていました。そしてまもなく近くを葬列が通りそうだという頃合いを見計らって高速道路M1の上に架かる橋の上から眺めようと橋の上まで歩いて出かけていきました。

そこで目にした光景も衝撃的でした。いつもは上り下り車線とも走行するクルマでいっぱいのM1は、1台もクルマが走っていないのです。全くクルマがいない状態でがらんとしています。

その代わりに、M1の両側路側帯をずっと埋め尽くしているのは、花を手にした人たち。

日常は立ち入ることのない高速道路の両側にびっしりと並んでいます。何千人といることか! 架橋の欄干の両側にも花を手にした人々が並んでいます。あちこちですすり泣く声がしています。しゃべっている人はおらず、皆静かに葬列が近づいてくることを待っています。

 

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