【前回記事を読む】「1万円?」花瓶の花を見て立ち止まった98歳の父。娘が指1本を出すと、数分前と違う答えが……
6 コスパ
これ、いくら?
家で内々でコスパを口にしている分には笑い話で済むが、貞さん、これを外出先でもやる。
貞さんにとってはいつもの会話だが、同行者はこれで中々恥ずかしい思いをする時がある。
貞さんを床屋に連れて行った時のこと。まあ大して毛も生えていないのだから、私が切ってもいいのだが、たまには外に連れ出すのも刺激になるし、なんといってもあの暑い蒸しタオルで顔を覆ってもらう快感は至福の時だ。プロの頭皮マッサージも貞さんの脳を刺激し、血流を促し少しは「ストップ・ザ・ボケ!」に貢献するかもしれない。
最後は、いつもは私のいい加減な、手荒な扱いで「痛い、痛い」と叫ぶ貞さんを、「痛くない! 我慢!」でやり通してきた髭剃りも、プロの流れるような美しい手捌きで完璧だ。すべての施術が終わり、貞さんヨロヨロと立ち上がる。「サッパリしたね」と声をかけるも無言。ウンでもスンでもない。ポーカーフェイスで何を思っているのやら。
私が会計をしていると、ここで貞さんおもむろに口を開く。「いくら?」と。私が「三千円」と言うと、一言「何? 三千円? 随分高いなあ」一瞬周りの空気が固まる。「はあ~」である。今まで黙っていて開口一発がこれである。何を言い出すんだこの爺さん!
こんなに色々やってもらって、気のいい店のご夫婦は足取りのおぼつかない貞さんを気遣ってくれ、手を取ってシャンプー台へと誘(いざな)ってくれたではないか。少しは空気を読め!
「いや、いや、否、全然高くないじゃん!」必死にこの場を取り繕うも、お互い気まずく、顔は引きつったまま。退散するに限る。「早く! 帰るよ!」と貞さんのお尻を押し「すみません、ありがとうございました」と恐縮しながら店を出る。全く一瞬たりとも気の抜けない爺さんだ。
これで学んだ。二度と店内で料金の話はしないことだ。いくら貞さんが「いくら?」としつこく聞いても「後でね。うちに帰ってから」で押し通す。その方が双方ハッピーだ。
貞さんのコスパは、自分で自転車でスイスイとどこでも行って、支払いをしていた平成のある時期で止まってしまっているのかもしれない。そう思うとちょっと哀しい。